「頼ること」について考える① (かっこつけない力とコミュニティ)
どうもどうも。
こないだ、「助けて」っていうのって難しいよね、ってテーマで話をしたんです。
これね。
このインタビューの中で、ひかちゃんと話してて引き出された大きな気づきは、「助けて」って最初に言える能力がある人は、互助のハードルを下げ、周りの人を生きやすくしてくれるってことだ。
最初に「助けて」って言えることって、まわりのみんなのハードルを下げて、安心を与えてくれる隠れたファインプレーだと思う。
だから、助けを求めたり、頼ったりすることは、むしろいいことだし、カッコイイことなんだというマインドを、まず前提にもてるといいよねと思っています。
先に「助けてもらった」「助けた」という経験を積んでいるからこそ、そこから互いに助け合う“互助の関係”がうまれやすくなる。
つまり、周りに力を借りられる人がいることで、みんなが生きやすい環境になっていくんだよね。
「助けて」ということは、言われた相手への最大級の信頼を示す「相手へのギフト」であるとともに、所属するコミュニティの中での互助を促進して、場の価値を高めうる「場へのギフト」でもある。
それに気づかせてくれたのは、友人で、うつ病患者さんのコミュニティサービスU2plusの創始者であるとうどうさんだ。
(これは、あらゆるところで引用している名文。ぜひ読んでみて。)
とうどうさんは、よく「へろへろ」になっている(笑)
体調も良くないし、頻繁にトラブルに見舞われていることもあるんだけど、それでもあの「へろへろ」は、ただの「へろへろ」ではない、とおもっている。
信念があるように感じている。
確実に、「わざと」やっている部分がある。
こういうスタンスを取っていると、勘違いしてマウントを仕掛けてくる輩もいるだろう。そういうのに舐められるリスクも背負って、やっている感じがするのだ。
「へろへろ」になった姿をあえて隠さずに見せてくれることで、周りのみんなすごく安心するのだ。張り詰めた空気がゆるむ感じ。
だからこそ、まわりのみんな力まずに正直でいられるし、いい議論ができるから、とうどうさんが中心にいるチームはきっといい仕事が出来るのだろう。実際、愛され方が半端ない。
率先してかっこつけないことで、みんながかっこつけなくてよくなる雰囲気をつくる。
そのスタンスをこそ、「かっこいい」とおもうのだ。
これを「かっこつけない力(りょく)」と呼びたい。
カッコつけない、という意思決定が出来る強さが、カッコいいのだ。
ぼく自身、このスタンスにめちゃくちゃ影響を受けている。
とうどうさんのそうした振る舞いは、確実にコミュニティ価値を上げているなと感じる。
その象徴的な出来事が、数年前の「とうどうの今後を考える会」だった。
ぼくはメンタルヘルスに関わる専門職や事業者の勉強会的なコミュニティ(通称「メンフラ会」)を運営していて、そこの雰囲気がすごーく気に入っている。
不定期に開催されて、お互いの知見の共有や近況報告とかを飲みながらするんだけど、その日は、とうどうさんの「にっちもさっちもいかなくなったので、助けてください」の声に、会のみんなが集まった。「とうどう氏の今後」がメイン議題だったのだ。
彼の困りごとを中心に、参加者がいろんな専門性を発揮しながら、ああでもないこうでもないと盛り上がった。まじで大変な事態だったから不謹慎かもしれないけど、それでも言葉を選ばずに言えば、とても「楽しかった」のである。
場がひとつになり、結束がものすごく深まったように感じた。それからも、メンバー同士で、けっこう自発的な互助がつづいている。ぼくも何度も助けてもらっている。
クラウドファンディングでのメンバー間での相互支援が何度行われたかわからない(笑)
そんなかんじで
・誰かを頼ることは、相手にとってのギフトにもなりうるかもしれない
・場にヘルプを求めることは、場へのギフトになるかもしれない
・カッコつけないという意思決定が出来ることが、カッコいいのかもしれない
こういう考えは、コミュニティの互助を促すんじゃないかなー、とおもったのでした。
でも、「かっこつけない力」って、じぶんが追いつめられたときほど発揮しにくいから、ちょっと余裕があるうちに、多少かっこつけてもいいような局面で発揮する練習をしとくのがいいのかもね。
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