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【検察庁法改正案】世論の作り方。土用の丑の日、AKB48商法、田代砲。

読売新聞 5/18(月) 7:10

 検察官の定年を延長する検察庁法改正案の今国会成立を見送る案が、政府・与党内で浮上していることが17日、わかった。野党や世論の批判を押し切って採決に踏み切れば、内閣にとって大きな打撃になりかねないためだ。安倍首相は与党幹部らと協議し、近く最終判断するとみられる。

NHK 5月18日 6時15分

検察庁法の改正案をめぐり、与党側は19日、武田国家公務員制度担当大臣に対する不信任決議案を否決したうえで、20日に衆議院内閣委員会で改正案を採決したい考えです。これに対し、野党側は内閣委員長の解任決議案の提出も視野に徹底抗戦する構えで、与野党の対立が続く見通しです。

どっちなんでしょうねえ?

正直、今回はいろんな偶然が重なったので、単純に「ネット工作」の一言で片づけてしまってはいけないと思います。一番大きいのは、コロナ禍で仕事がなく暇してた芸能人がこの話題に大勢飛びついたということだと思います。また、「自粛」でフラストレーションが溜まっていた人が多かったことも、ここまでこの話題が燃え広がった一因ではないかと思います。

ですが、5月9日夜から5月10日未明にかけて、明らかに不自然な工作があったこともまた否めません。工作と言っても、ワントップの司令塔から上意下達で皆が組織だった統制の取れた行動をした、ということではなく、この法案を潰すことが目的化してしまった一部の有志が、まるで田代砲まがいのことをして、偽の世論を作ったということです。

こういうことは別にネットに特有の現象ではありません。例えば、ファッション業界では昔から「今年の流行はコレ!」などと大々的に宣伝して、その記事を読んだ消費者が「流行」に釣られてその衣服を購入することで、結果的にそのファッションが本当に流行する、ということは当たり前のように繰り返し行われてきたことです。

あるいは、土用の丑の日にウナギを食べる風習も、平賀源内が考えたキャッチコピーから始まったと言われていますし、バレンタインデーにチョコレートを贈る風習も、宣伝から始まったものです。

このように、流行ってない物を流行ってると宣伝して流行らせる手法は、全く珍しくありません。

音楽業界でもこのやり方は繰り返し行われてきました。例えば、CDの自社買いというのがあります。これは、CDをオリコンランキングの上位に入るとマスメディアで「オリコン1位!」などと報道され、その結果、本当にCDが売れる、ということを期待した行為です。普通に考えたら「自社のCDを自社で買うなんてお金の無駄以外の何物でもない」と思うでしょうが、それが普通に広告を出稿するよりも高い宣伝効果を発揮するのであれば、そのお金は無駄ではないということになります。

次に編み出されたのが、AKB48などに代表される「握手会商法」です。これは握手会などでファンに同じCDを何枚も買わせてオリコンのランキングを吊り上げるという手法です。ファンのお金を使うので自社買いと違って本当に儲かるし、しかもオリコン1位になれば宣伝にもなり、さらにタレントと握手をした人は本当にファンになってしまう確率が高いので、とても効率も良い手法でした。

実はこうした手法は1970年代からずっと行われきましたが、オリコンランキングに影響を与えるほど数多くの握手会をこなすのは物理的に不可能であったため、長らく問題視されることはありませんでした。ところが、AKB48は、メンバー数を大量に増やすことで大量の握手会をこなすことを物理的に可能にしたのです。しかも2000年代に入って全体的にCDが売れなくなり、オリコン上位のレベルも下がってきたため、結果的にAKB48はCDセールスでは無敵状態になり、それが繰り返し報道されることによって、ファンの数も雪だるま式に増えていったのです。

余談ですが、自社買いや握手会商法などがあまりにも横行しすぎた結果、オリコンランキング自体の信用が下がり、今ではオリコンランキング自体がメディアであまり取り上げられなくなってしまいました

話が長くなってしまいましたが、このようなトレンド操作、情報操作は、昔から当たり前のように繰り返し行われきたことです。もちろん、こうした行為自体は別に悪い事ではないし、違法性もありません。

ですが、これらは全て商業の話です。こういう手法を政治に持ち込むことは、とても危険なことだと私は思います。

20世紀までは、こうしたトレンド操作は、それなりのお金と、それなりの組織を持った「資本」にしかできない手法でもありました。

しかし、インターネットはそれを個人、あるいは少数の集団の力でも可能にしてしまいました。

2001年にはインターネットで有志がタイム誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーの投票サイトにて、同年覚せい剤取締法違反等の罪で起訴された田代まさしへの大量投票を行う「田代祭り」が行われました。この際、手作業ではなくパソコンが自動的に何度も投票を繰り返す「田代砲」というツールも作られました。

2003年には、プロ野球オールスターファン投票にて、同年一度も登板のなかった川崎憲次郎投手に大量投票を行う「川崎祭り」が行われました。

この2つの事件は、偽のトレンドを作るための工作というよりも、単純にイタズラ、悪ふざけにすぎませんでしたが、個人のイタズラによって、ある組織が公式に発表している情報を簡単に操作できてしまうことが可能である、ということが示されたのです。

2005年には、当時オタクの間で流行っていたテレビアニメ「魔法先生ネギま!」オープニングテーマ「ハッピー☆マテリアル」をオリコン1位にしよう!と、ネットを中心に有志がキャンペーンを行い、惜しくも2位に終わりましたが、ネットの有志がオリコンランキングに影響を与えることができるという前例が作られました。

このように、流行とか、トレンドとか、ランキングといった類のものは、資本の手によるものか、個人・有志の手によるものか、にかかわらず、誰かしらの手によって大なり小なり恣意が加えられているものだと思った方が良いのです。

国政選挙もある意味、究極のトレンド調査でもあります。ということは、選挙においても、トレンド工作の手法は使われています。むしろ選挙こそがトレンド工作のすべての手法の集大成と言っても過言ではないかもしれません。しかし、国政選挙は、分母となる投票者数が極めて大きい上に、1人1票という制約があるため、トレンド工作が選挙結果に与える影響は、さほど大きくないと考えられています。

とはいっても、確固たる自分の考えを持たない、トレンドに踊らされやすい国民は沢山いると思います。日本最大の政治勢力は自民党ではなく無党派層だという話もあるくらいです。無党派層=トレンドに踊らされやすい層、と決めつけるのは乱暴だと思いますが、あくまで傾向としてなら、そういう傾向はあるのではないかと思います。

主に左派の人たち、自称リベラル層は「知識が無くても政治に参加して良い、知識が無くても選挙に投票に行くべきだ」と言います。おっしゃる通りです。でも、彼らは、同じ口で、例えばNHKから国民を守る党みたいな政党が躍進すると「ポピュリズムだ」などといって、大した知識もなく選挙に参加した有権者のことを批判します。明らかに矛盾してますよね。

もちろん、無党派層は家で寝てろなんて言うつもりもないですし、思ってもいませんが、安易にトレンドに流される有権者のことは、批判しても良いのではないでしょうか?「知識が無くても政治に参加して良いが不味いと思うのは、まるで知識がないことを正当化しているように思えるからです。

#自粛と補償はセットだろ という主張に対しても感じることですが、だったらあなたは補償がなければ自粛しなくても良いと考えているのか?と。いや、それは不味いですよね。それと同じロジックです。政治に参加すれば知識は学ばなくて良いと考えているのか?と。いや、それは不味いですよね。

こういうときは、4つに分類して序列を付けていくのが良いと思います。

A.知識を学び、政治に参加する
B.知識は学ばず、政治に参加する
C.知識は学ぶが、政治には参加しない
D.知識は学ばず、政治にも参加しない

Aが最も理想的で、Dが最悪なのは保守・リベラルの隔てなく意見が一致するところだと思います。問題はBとCのどちらを評価するのか。多分、ここで意見が分かれるのではないかと思います。

私はCを積極的に評価します。なぜなら、まず第一に、政治に参加することは、自由であって、義務ではないからです。つまり「政治に参加する自由=政治に参加しない自由」でなければ、自由とは言えないのです。

次に、Cの人は、政治についてきちんと学んでいる。つまり、この時点で政治に無関心ではない。関心がないから参加しないのと、関心を持って政治を注視しながら、しかし参加はしないというのでは全然違います。

よって私は、A≧C>B>Dという評価をしますが、どうもリベラルを自称する方々は、A>B>C>Dという順序になっているような気がします。でも、本気でそう思っているなら、せめて野党を支持しない人、野党に投票しなかった人を、ただそのことだけで攻撃するのをやめていただきませんかね?

私たちも、別に政治的発言をした芸能人を無差別に批判などしてません。その発言に事実と異なることが含まれていたり、矛盾が含まれていたり、明らかに知識が不足している場合などに限って批判しているだけです。そんなの別に政治に限った話じゃないですか。なんで政治だけ例外扱いしなきゃならないの?

だいぶ話が脱線してしまいましたが、芸能人であれ一般人であれ、政治に参加する、政治的意見を主張することは素晴らしいことですが、流行やトレンドを無批判に信じ込んで、トレンドに乗っかることが素晴らしいとは全く思えません。それが政治に関心を持たせるきっかけになるというプラスの効能はあるかもしれないと認めることはやぶさかではないですが、たとえそうだとしてもやはり政治を歪めてしまう危険性のほうが大きいと私は考えます。白か黒か、じゃないんですよ。白い部分も黒い部分も両方あるんですよ。左派の人たちは、まずそういう考え方ができない

流行やトレンドに乗っかること自体、政治を歪めてしまう危険を伴うものですが、ではその流行やトレンド自体が歪められたものだとしたら?しかも、今の時代、昔のように資本の力を借りずとも、個人の力でそれを果たすことも可能な時代なのです。

もちろん、「トレンドを良い方に歪める」こともあるでしょう。それを「歪める」と言っていいのかどうかわかりませんが。今回の検察庁法案騒ぎは、反対派にとってはまさに「良い方に歪めた」結果だと思うんです。でも、じゃあ結果が良ければ手段はどうでもいいのか。念のため言っておきますが、こういう手口は、いずれ悪党も真似すると思います。

今回の法案、私は特に賛成でも反対でもありません。ぶっちゃけ私の人生には1ミリも関係ないし。廃案なら廃案で良いと思います。ですが、クレーマーに成功体験を与えることになりはしないか。そこだけを懸念します。こういうやり方が政治を動かす手段として有効だということになってしまったら、今後もこういうやり方が横行することに繋がりかねません

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