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政治的意見は誰でもしていいよ。でもリスクもあるよ。ノブレス・オブリージュも大事です。重要なのは「そこに書いてないこと」。

こちらのnoteに書かれた話。おおむね間違っていはいないとは思います。しかし、ここには、書かれてない重要なことがあると思います。

ちょっと前にも書きましたが、チェック事項を再掲しておこうと思います。

①ここに書いてあることは本当か?
②ここに書いてあることと自分は何か関係あるか?
③ここに書かれてないことがもしかしたらあるかも?

①は、おおむね正しいことが書かれてると思います。②は「誰でも」ですから、当然、みんなに関係があります。そして重要なのは③だと前にも言いました。

「意見を言うな」と言ってる人はいない。言葉が足りてないだけ。

まず大前提として「意見を言うな」と言ってる人はいない、と私は考えてます。

言葉の上ではそう言っている人もいると思いますが、それは言葉が足りてないだけです。足りてない言葉は脳内で補ってやる必要があります。正確には

「事実と異なることを言うな」
「矛盾した意見を言うな」
「何も勉強してないのに意見を言うな」
「無責任な意見を言うな」
「批判の名を借りた誹謗中傷や差別をするな」

他にもあるかもしれませんが、だいたいこのような声だと考えるべきだと思います。

「事実と異なること」というのは、要するにデマですね。デマを言うなというのは分かりやすいです。またデマを前提とした意見も、デマの拡散につながります。

「矛盾した意見を言うな」というのも分かりやすいと思います。要するにダブスタやめろってことですね。

「何も勉強してないのに」はちょっと傲慢な気もしますが、例えば、朝まで生テレビで、村本大輔さんが憲法を読んだことないのに憲法について偉い学者さんに口角泡を飛ばして減らず口を叩いていたのを見れば、さすがに「お前は黙ってろ」と思う気持ちを抑えることは、なかなか難しいと思います。ただ、これもどこまで勉強すれば発言が許されるのか、という問題を孕んでいるので、程度問題だと思います。

「無責任なことを言うな」については、後述します。

「批判の名を借りた誹謗中傷や差別をするな」、これはトーンポリシングと呼ばれるものですが、これも程度問題でしょう。批判と誹謗中傷、あるいは批判と差別の境界線は曖昧です。

ノブレス・オブリージュと有名税

ノブレス・オブリージュとは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」という意味だそうです。要するに、富裕層、有名人、権力者、高学歴者等は社会の模範となるように振る舞うべきだ、という考え方です。

有名税とは、有名であるが故に、知名度と引き換えに生じる問題や代償を税金に例えた単語、だそうです。税金というのは義務ですから、つまり、ノブレス・オブリージュと意味合いはとても似ています。

芸能人やスポーツ選手、作家などは、本来、政治とは無関係の分野で知名度を獲得した有名人です。彼らは、一般人では持ちえないほどの社会的影響力を持っているわけです。

政治については素人同然の彼らが、中途半端な知識で政治について語れば、その影響力は計り知れません。

だからといって芸能人は黙ってろ、なんて私は思いませんが、しかし、自分が言ったことに対して責任はちゃんと取ってほしいなとは思います。そうじゃなきゃ、芸能人の発言に対する風当たりの強さは、今後増していく一方なのではないでしょうか。

小野さんの「意見を言うな」というひとたちの言い分という項目に、この視点はありませんでした。

発言のリスクと責任と覚悟

つるの剛士さんのツイートを紹介しておきます(三度目)

政治的発言をする芸能人の方の中で、ここまでの責任感を持って発言されておられる方ってどれだけいるんでしょうかね。鈴木宗男議員を最後まで擁護しつづけた松山千春さんくらいなものでしょうか?少し叩かれた程度ですぐに投稿を削除するような豆腐メンタルの芸能人には、やはり黙っててもらった方がいいかなあ、とは思います。

私は、きゃりーぱみゅぱみゅさんと同じくらい、スガシカオさんにも幻滅しています。スガシカオさんの言ってたことは正しかったんだから、批判に負けず最後まで貫いてほしかった。削除するくらいなら最初から言わないでほしい。クレーマーに成功体験を与えるのは最悪ですよ。

喧嘩してると思ってる説

単純に、AとBが「対話している」構図から「対立している」という関係だけ読み取って、喧嘩をしてる夫婦の間に犬がテニスボール持って仲裁に入る感じで「やめろ」と言っている人はいそうだね。これについては、実際に対話や意見交換を逸脱して人格攻撃合戦を繰り広げている人たちにも責任があるね。ところで、なんで対話が人格攻撃に繋がるのかというと、次のような事情があるね。

はい、対立しながらも対話が続けられる関係というのは理想ですが、残念ですが現実は対立がケンカに発展する関係のほうが圧倒的に多いです。

これは別に日本に限ったことではないですね。

トランプ大統領支持を公言したカニエ・ウェストさんに対する誹謗中傷は、批判の域を完全に超えたものが(たとえ一部であったとしても)ありました。

だから、ケンカしているつもりはなくて、ケンカに発展する可能性が高い以上、対話そのものを回避しようとすることは、決して批判できないのではないでしょうか。

そして、発言するからには、ケンカや言い争いに発展するリスクは覚悟しておくべきではないでしょうか。

小説家の伊東さんのツイート(2度目)

こちらのnoteも参考にしていただけると幸いです。

5/17追記

東京都議会議員の川松真一朗さんが物凄く良いことを言っておられましたのでこちらで紹介しておきます。



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