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売られたケンカは買うシリーズ:神條遼さん篇(新藤加菜さん関連)

エゴサしてたら、なんか俺の知らんところで勝手に噛みつかれるのを見つけてしまった。

なんで私が反論できないところでコソコソとやるのかな。論戦なら正々堂々と受けて立ってやるのに。

そういえば、この記事のアクセス数が妙に多いなと思ってたのだが、もしかしたら原因は神條氏だったのかもしれないな。

念のため、魚拓も取っておきました。

というわけで、彼の投稿から1ヶ月半も過ぎてしまっていますが、いちおう、再反論っぽいこともしておきます。

ハッキリ言ってやる。
女性であっても新藤候補は間違いなく『セクハラの加害者』だ。
『女性が「女性への性的消費」を肯定し、ミソジニー的な主張をして女性への差別に加担する』なんてのは世に幾らでも溢れてる有り触れた事例だ。
そもそも『ミソジニー側に立つ女性』なんて珍しくないわ。

女性を差別する女性は世に幾らでも溢れてる」という主張は面白いですね。例えて言えば「日本人を差別する日本人は世に幾らでも溢れてる」ということでしょうか。これは目から鱗ですね。そう考えたら、確かに「女性を差別する女性」は「日本人を差別する日本人」レベルには、存在しそうな気がします(笑)。ただし、新藤さんのどこが女性差別に当たるのかはさっぱり理解できませんが(笑)。

フェミニズムは単純な『男性 vs 女性』などという『性別対立』の図式ではない。

おっしゃる通りです。私は常々「女性vs男性ではない。フェミニストvs正常人の戦いだ」と言ってます。

女性が行なう行為だからって、無条件に肯定される訳ではない。
その行為の主体者が女性だろうと、その行為それ自体がフェミニズムの理念に反する行為なら批判されて当然だ。

さらっと凄い事言ってますよ。フェミニズムとやらはいつからそんなに立派なものになったんでしょう。フェミニズムの理念なんて人によって言ってることバラバラだし、当のフェミニスト自身も「一人一派」と言ってるくらい中身のないものなのに、何が「フェミニストの理念」ですか(笑)。

あと「批判されて当然」という言い回しも気になりますね。批判してるのは専ら君たちであって、「されて」などと他人事みたいに言うのは責任回避したい深層意識の現れなんじゃないのかな。

だが、そもそも『選挙の候補者ポスター』は『女性の身体性の性的な強調』が必要とされる場所ではない。
決して『相応しい場』ではない。

もう、言ってることが完全に頑迷な保守そのものですよね。どこがリベラルなんだろう。別に乳房をさらけ出してるわけでもないのに「性的な強調」ってねえ(笑)。あの程度の露出度であれば、特に夏場になれば都会のいたるところで大きな商業広告看板等で頻繁に見かけますよ。

『性的な視線』を望んでいない者に対し、その人物を判断する基準として『性的な視線』を浴びせろと発信する行為は疑いもなく『セクハラ加害』でしかない。

いやいや、何をおっしゃられてるのですか神條さん。新藤さんは別に、性的な視線を望んでない他者に対して「彼女たちに性的な視線を浴びせてやってください」などとは発言してませんよ。これはいくらなんでも論理飛躍がひどすぎます。エクストリーム擁護という言葉もありますが、これはもはや「エクストリーム非難」ですよ。もう少し、論理を詰められた方がよろしいのではないでしょうかね。

関係ないけど、新藤加菜さんが新型コロナに感染されていたそうですね。お若いので大事には至らないと思いますが、いちおう、一日も早いご快復をお祈りします。

「ざまあみろ」はいくらなんでもひどいよね。

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