「民主党の成功」を分析してみる

三浦瑠麗さんは政策面、特に外交安保政策の面から民主党の成功を分析しておられますが、もちろんそれもあるけれど、それだけかな?と思い、筆を執ることにしました。てか、パソコンのキーボード叩いてるだけなのに「筆を執る」って表現で合ってるのかな?

過去にも書いたことがありますが、自民党の集票力は、平成時代に突入すると共にガタガタになりました。平成元年の参院選では、リクルート事件や消費税への批判などによって、結党以来の歴史的大敗北を喫してしまいました。

その4年後には新生党や新党さきがけなどが自民党から分裂して発足し、自民党は結党以来の大分裂を経験したわけです。その背景には、ロッキード事件やリクルート事件などの汚職が、「一党独裁」とも揶揄されるほどの長期に渡る自民党政権の継続による弊害と考えられたことから、「政権交代可能なシステムを作らなければ」という機運の高まりがありました。

しかし、国民の大きな期待を背負って発足した細川政権は僅か1年で瓦解し、首相は村山になりましたが、政権は自民党に戻ってしまいました。その後も、非自民勢力は1つにまとまることができず、自民党は連立相手をとっかえひっかえしながら維持し続けました。

しかし、2003年に小沢氏の率いる自由党が民主党に合流し、「自民党vs民主党」という二大政党制の形が完成すると、翌年の参院選では民主党の獲得議席が自民党を上回り、いよいよ政権交代カウントダウンかと思われました。

しかし、2005年に小泉首相が「郵政解散」という奇手に打って出たため、自民党は大勝してしまい、政権交代は4年間先延ばしになった、わけです。

とはいえ、2005年の大勝はいわばフロックでしかなく、自民党の弱体化はその後も続き、2007年の参院選では、消えた年金問題への批判もあって、1989年以来の大惨敗を喫し、第一次安倍政権は退陣。ここから7年連続で総理大臣が交代する異常事態に突入しました。

このように、民主党が成功した最大の要因は、外交安保云々よりも、まず第一に「自民党一党体制への積年の不満」があったと思います。しかし、2009年にその不満は解消してしまったために、自民党は逆に政権を失ったことによって息を吹き返したと私は思ってます。

2009年の選挙では、投票率が約69%と近年では異例の高さになりました。つまり、それだけ積極的に「政権を変えたい」という動機を持った人たちが投票に足を運んだわけです。しかし、実は自民党も票は減らしてなかったのです。フロックである2005年よりは減らしていましたが、それ以外の、1993年の自民党大分裂以降の選挙では、自民党も最多得票だったのです。ここが自民復活の鍵だったと思います。

しかし、民主党政権は、鳩山政権が三浦瑠麗さんのおっしゃる通り外交安保で国民の期待を裏切り、また経済政策でも異常な円高政策を堅持するなどして国民のひんしゅくを買いました。また民主党に求められたクリーンさについても、鳩山氏の故人献金問題や小沢氏の西松建設事件などによって裏切られました。

その結果、2012年の選挙では民主党の得票は2009年の約1/3にまで激減しました。これは、単に国民の期待を裏切ったからというだけでなく、元々の選挙地盤の弱さを示しています。自民党はこの選挙で大勝しましたが、得票数の上ではむしろ2009年よりも減らしており、決して国民の熱狂的な支持があったわけではありません。2009年に民主党に入った得票のうち、約1/3が棄権し、約1/3が「日本維新の会」「みんなの党」などの、いわゆる第三極政党に入り、残り1/3が民主党、というイメージで捉えれば良いかと思います。

つまり、「民主党の成功」の要因は、政権交代を望む国民のフワッとした民意に乗った、ということです。しかし、ここで留意しなければならないのは、国民は政権交代は望んだが、政策交代は望んでいなかった、ということです。これをはき違えた鳩山政権や菅直人政権は大失敗しました。野田政権は自民党の政策に近い路線に戻そうとしていましたが、政策交代を望む党内勢力をまとめきれず、党を四分五裂させてしまいました。そのため、未だに「リベラル」を自称される方々は、民主党が失敗した原因を「野田が悪い」と言っています。しかし彼らは、なぜ鳩山、菅直人の両氏が短命で政権を去ることになったのかの反省がまるでないのです。もし両氏が短命政権でなければ、そもそも野田氏は登板機会さえなかったわけで、もしも仮に野田氏が民主党敗北の直接の原因であったとしても(私にはそうは思えませんが)、その遠因を作ったのはやはり鳩山氏と菅直人氏です。ちなみに、鳩山氏は2012年の選挙には不出馬、菅直人氏は落選(比例復活)しているのに対して、野田氏は危なげなく当選しており、選挙結果から見ても、国民の厳しい審判を浴びたのは鳩山氏と菅直人氏のほうでした。いかに「リベラル」を自称する方々の見方が歪んでいるかの証左でしょう。

ともあれ、2009年に一度政権交代してしまったので、国民の「政権交代したい」という願望は一旦リセットされ、しかも政権を取った民主党の政権運営が酷かったため、むしろ当分もう民主党はご勘弁願いたい、というのが、多数派の国民の意識だと思います。

しかし、そうは言っても、自民党以外の選択肢が存在しないような状態が今後も続くのは勘弁してほしい、という願望も根強くあるのは事実だと思います。それが顕著に表れたのが、大阪における大阪維新の会、東京における都民ファーストの会の躍進でした。しかし、立憲民主党は未だに「政策交代」にこだわり、日本共産党に接近して連合から叱られるなど迷走を繰り返しています。これでは支持が上がるわけがない。


さて、今の(立憲)民主党が再び国民から「自民党以外の選択肢」として認識してもらえるようにするにはどうしたら良いのでしょう。それは「民主党の成功」だけを分析するだけでは不十分だと思います。それは、民主党の時は、「国民が政権交代を渇望」「未知への期待」という2つのボーナスがありましたが、もはやどちらもありません。一方で、民主党政権誕生以降には、大阪維新の会や都民ファーストの会という成功事例があります。同じことを国政でやれるかどうかは分かりませんが、参考になる点は多々あるのではないでしょうか。

いずれにせよ、今の立憲民主党のように、一部のリベラル左派にだけウケが良く、それ以外の大多数の国民には全く響かないことばかり言っているようでは、議席は安定するかもしれませんが、政権を取ることはないでしょう。

ただ、仮に立憲民主が一部のリベラル左派の票を手放してまで無党派層の票を取りに行くと、立憲民主が手放した票を奪いに行く政党が必ず現れるので、結局どう足掻いても日本で二大政党制を実現するのは不可能だと私は思っています。

自民党はいまだに公明党との連立に頼っているように、単独で政権を維持する力はありません。ならば英米型の二大政党制よりも、独仏伊型の多党制に移行するべきではないでしょうか。もしも中選挙区制度に戻ったとしても、自民党が昭和のような単独政権を築くことはもはやありません。


最後に、三浦瑠麗さんは外交安保政策をリアリズムとリベラリズムに分類していますが、私はこれを4つに分けたほうが適切だと思います。1つめは右翼理想主義、2つ目は積極的現実主義、3つ目は消極的現実主義、4つ目は左翼理想主義。1つ目は単に国粋主義とも言い換えられます。2つ目は国粋主義の立場はとらないものの、日米同盟重視、防衛力重視、土下座外交からの脱却。土下座外交からの脱却と言っても近隣国に対して強硬一辺倒という意味ではなく、日本に利があるなら譲歩もする。しかし何の利もないのに「過去の贖罪意識」みたいなしょうもない理由で簡単に譲歩することはない。3つ目は、現実主義といえば聞こえは良いがその実態はただの事なかれ主義。あるいは利益至上主義もここに入ると思います。4つ目は鳩山由紀夫的なユートピア思想や旧社会党のような非武装中立路線。

肌感覚で言うと、自民党は3のタイプが最も多く、次いで2のタイプ。1のタイプも少数ながらいますが党内で力を持つには至ってない。立憲民主党も3のタイプが最も多いものの、2のタイプが自民党に比べるとかなり少ないと思います。

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