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意識高い系は危ないかも

ほんの独り言。

”意識を高く保つ”って、目標(狙い)に対する努力量とその正確性が成分の殆どだと個人的には思っていて。

だから、”意識を高く保つ”という事は、目標達成に於いてはすごーく大事なことだと思うんですよ。
ちゃんと、量・質ともに、目標達成に伴ったアプローチ・行動ができるということだから。

試験に合格するに当たって、仮に、勉強量が全然足りなかったら試験に合格できないし、間違った範囲を、すっごく勉強してても、試験に合格できない。
だから、試験に出る範囲を”正しく”、その内容を”ちゃんと”理解できないと意味がない。

でも、その中で、”意識高い自分が好き”みたいな不純物が最初から混ざり込んでいたり、途中から混ざり込んできたりする場合、一気に目標(狙い)が変化してしまう。つまり、目標達成が一気に遠のいてしまう。

例えば、

試験合格 = 目標(狙い)
そのために
試験合格のために週末は朝早くからカフェで勉強 = 手段(意識高い!)

”朝早くからカフェで勉強する”自分が好き = 目標(狙い)
or ”試験勉強をしている自分が好き” =目標(狙い)
そのために
朝早くからカフェで勉強をする =手段(?)


やっている行動って同じだ
けど、その先にあるものが全然違う。

自戒の念を込めてですが、これって、意外と気付きにくくて、無意識にこういう状態に陥るっていうか、なっちゃう人は、多いと思うんですよね。

だから、頑張っている事に対して、細かく、目標がブレてしまってないか?とか、方角は正しいか?とか、自分自身を俯瞰的に、細かく見つめなおさないと、危険!かもしれない。。



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