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"共感をつくるコンセプト設計"には壁がある


モノが満ちて、安く手に入れられるようになってしまったこの世の中で、単なる「便利なもの」「効率化してくれるもの」はすぐに真似され、他のものに紛れていってしまうという話がある。
これに対応する形で重用されてきたのが、コンセプト重視、ストーリーを持ったプロダクトづくりだと思う。

つまりは、簡単には真似されないようなバックグラウンドのストーリーやコンセプトを打ち立て、ターゲットの共感を得るというやり方だ。

コンセプトを作り、そこから企画を生み出す、もしくは既存のサービスや企画と絡ませるというやり方は、個人的にはやってみてすごく面白いと思っている。
一方で、難しさというか壁のようなものも感じている。今回はその課題感について言語化していこうと思う。

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コンセプト重視の企画設計は、自分たちの組織が持っているビジョン・ミッションに絡ませやすい。
(抽象度が近いので、ビジョンに沿うようなストーリーを持ってくればよいから。)
だから、共感するビジョン・ミッションがある人にとって、設計はこの場合とても楽しいものになるはずだ。というか、僕は楽しいです。

一方で、このコンセプトやストーリーは、届けたい相手に共感してもらいたいので、ある程度それを前提につくっていくことになる。
僕の場合、自分が分からない気持ちは分からないと思ってしまう派なので、結局「自分自身が共感できるか?」を指標の1つにしている。

どうやらここに問題がある。
遠回りしたが、コンセプト設計の際に感じている1つの壁は、
年代を超えて共感してもらえるモノがつくれない」ということだ。

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世代に根付いた価値観というものは、結構根強いと思っている。
年齢が違う者同士、使っている言語の違いは翻訳すれば会話は成り立つ。
けれど、価値観までは揃えられない。

コンセプトに共感をしてもらいたいと思って設計し、実際に共感してもらえるコンセプトが生み出せたとしても、共感を起こせる価値観を持っている層が、どうしても年齢的に偏ってしまうのだ。

例えば、他人の目を気にする態度や制約を脱ぎ捨て、より自分らしく自由に生きようというのは最近盛り上がっている考え方だ。
一方で、これが流行っているのはインターネットが広まり他人の目が特に気になり人々の気持ちが抑圧されがちになってしまった反動からであり、
特にこの抑圧を強く感じていたのは、リアルタイムでインターネットの広まりを目にしてきた人たちである。
つまり、20代後半~30代の「インターネットネイティブではないけどネット慣れしている人たち」になる。

このような感じで、コンセプトによって興味を持ってくれる年代が変わってくる。
実際に尖ったコンセプトを立てて企画集客、などとやってみるとやはり世代の偏りはどうしても出てしまった…し、だからこそ、これがコンセプトメイクやストーリーテリングしたサービスの一つの壁になってくるのでは、と思う。

次に出てくる疑問は、「この壁を超える必要はあるのか?」である。
普通は別にないと思う。ただ、自分にはある。

コンセプトが偏るとそこから形成されるコミュニティの構成員も偏ってしまう。
そもそも偏らせること自体はコミュニティ形成には大事なことだ。一種の均質性をつくることで、構成員同士の共通言語を生み出すためだ。

だが、予期せぬ偏りや断絶は避けたい。この場合、予期せぬ偏りが年代ということである。
自分はそもそも年代の壁を取り払って、問題解決や面白い取り組みが生み出されるコミュニティをつくりたいので、年齢に依らない均質性を持たせたい。
普段から接する年代が偏ると、人生の中の時間軸が曖昧になってしまい、将来のマイルストーンが置けなくなったり、目標を立てにくくなってしまったりする。
若いことが絶対善になるのもつまらないし、それだと歳をとることが全然楽しくなってしまう。

ということで、だから世代を超えて訴求するコンセプトも作れるようになりたい、とすごく思う。
 
色々理屈をこねたが、単純におじさんともおばあちゃんとも自分は化学反応を起こしたいし、 一緒に同じ目標を目指すことができる場所があったら素敵だな、と思うのだ。

今回の言語化は以上。
引き続き、どのようなコンセプトなら年代の壁を越えられるのか、検証していきたいし、言語化をnoteに書き留めていきたい。



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