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無欲は美徳か? ――無欲だった少年は、大人になった時に何を思うか


「この中に欲のない方はいらっしゃいませんか。」


僕は必要だなと思ったものにポンとお金を出してしまう習性がある。
過密にバイトをして1ヵ月間で貯めた20万円を、
翌月パッとパソコンを買って使い切った時に友人に驚かれた。
ただこの習性、僕は割と説明がつく気がしている。
なぜかというと。


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自慢にもならないが、僕は欲がないほうだ。
欲が深いことの反対はなんと言うのだろう。欲が浅いとでも言うのだろうか。

控えめなエピソードを打ち明けると、
まず食欲があんまりなくて、僕は幼少期から今まで体型がひょろひょろだ。(自分より10cm背が低い友人と体重が同じだったりする。)
物欲みたいなのもなくて、将来、車とか家とかを買いたいという夢もなければ、
めちゃくちゃに出世して、自分の能力を世の中に見せつけたいという欲もない。
旅行も別に行かない。恋愛もそこまで…。

それでも、僕の周りの世の中は「欲がないことは良いことだ」とされている節があったので、僕もはじめはそのままのうのうと生きていた。

が。
欲の浅いティーンエイジャーだった僕、ある日ハタと気づく。
欲求は、人が生きるために必要なエネルギーであるということ。

人は欲があるからこそ、毎日頑張れるのだ。
友人Aは気になるあの子と明日話せるかもとわくわくするし、
友人Bは褒めてもらうために勉強に励むし、
友人Cは医者になりたくて苦手な数学にも果敢に挑む。

対する僕。
「調査表を配ります。あなたの夢は何ですか?」
…。
ありません…。


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さて、欲が控えめであるならば、
体や心も簡単に満たされるかというとそうでもない。
むしろ、何か足りない気がする、それが何かは分からないけど。という気分に近い。

僕が思うに、この"満たされた感"とはストックではなくフローによって起こるのだ。
お金を貯まっている状態が嬉しいのではなく、お金が入ってきたり、使ったときに感情は動く。
好きな人とただ同じ空間にいるだけでなく、会話して関係性に変化が起こることを人は楽しむ。

欲が浅いと、そもそも変化がない、もしくはあっても微々たるものだ。


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だから、僕は自分の欲を育てる必要があった。
(できれば、ひんしゅくを買わない健全なやつを。)

そのために、僕は欲求のタネを見つけたらあまりもったいぶらない方がいいと思うようになった。
これが冒頭につながる。パソコンは動画の編集ができるものを選んだら値が張った。
でも、動画の編集に興味があったのだ。珍しく。

使い古された言葉だが、「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ。」

それでも迷うときは、これは未来の自分のための投資だ!と開き直ってみたりもする。
好きなことが見つかるなら、好きだという気持ちを育てられるなら、それが結局生きる理由になる。

せっかく買いたいなら、買うべきだ。
例え小さくても欲求があることは非常に尊い。
動画を実際に作って気づいたけど、僕は表現したいという欲求があるみたいだ。
まだぼんやりと浅い欲求だけど、この先も育てていきたい。


あなたには買いたいものがあるだろうか。
どんなかけがえのない欲が、そこに隠れているのだろう。



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