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【他言禁止🈲】調べちゃいけないルーツを辿る。日本と世界の繋がり【今、日本人に感じて欲しい事】

 〇〇民族大移動‼️
 ゲルマン民族の大移動など歴史の授業で聞いたことあるかもしれません。
 数千年の歴史の中で、人々は大移動を繰り返してきました。
 縄文(16000年前-3000年前)1万年以上続いた日本人も多くの移動をしてきた民族になる。
 その痕跡は日本人のDNA🧬や文化、風習や言葉の中に隠れている。
 今回の題材は、調べてはいけない民族と日本のつながりについて考察します。

日ユ同祖論について

①ユダヤ人という民族はいない⁉️

 ユダヤ人というのは、ユダヤ教を主に信仰する民の事をいう。血縁やDNA、国など民族的な定義は存在しない❓

 ※AIに聞いてみたところ、面白い解答があったので写真を見て欲しい。

ユダヤ人たちの起源について調べてみる。

 今から2700-3000年前、中東に古代イスラエル王国(ダビデ王やソロモン王の時代)があった。   
 この国は、2700年前に南北に分かれた。その中の南王国=ユダ王国がユダヤ人の起源になる。
 しかし、この地域にいた民族を調べてみると、多く居た痕跡があるのは、カナン人とアラム人である。

wikiより転載

🔸古代イスラエルにおけるカナン人・アラム人の人口推定🔸
 古代イスラエルにおけるカナン人・アラム人の正確な人口を推定することは、資料や研究方法の制約により困難です。しかし、考古学調査や史料分析に基づいて、いくつかの推定値が提示されています。

①カナン人
* 都市国家時代(紀元前1800年頃~紀元前1500年頃): 10万人から100万人とする説が有力です。
* イスラエル人侵入後(紀元前1300年頃): 都市国家の衰退とイスラエル人の定住により、減少したと考えられています。具体的な推定値は不明ですが、数十万人程度だった可能性が高いです。

②アラム人
* 紀元前10世紀以降: アラム人の勢力が拡大し、イスラエルを含む広い地域に広がりました。そのため、推定人口も増加します。学者の間では、数百万人に達した可能性があるという意見もあります。

カナン人やアラム人は、どこから来た民族なのだろうか?

🔸カナン人のルーツ🔸
 カナン人のルーツについて、様々な説があります。以下に代表的な説を2つ紹介します。
①ノアの息子ハムの末裔説
* 旧約聖書「創世記」に基づいています。
* ハムの息子カナンがカナンの地の祖先とされています。
* カナン人はハム語族の一員と推測されます。
②西アジア先住民族説
* 考古学的・言語学的証拠に基づいています。
* カナン人は紀元前5千年紀頃(約7000年前)に西アジアに移住してきた民族と考えられています。

🔸アラム人のルーツ🔸
①シリア北部の先住民族説
  * アラム人は紀元前3千年紀頃からシリア北部に住んでいた先住民族であるという説です。
  * メソポタミア文明の影響を受けながら、独自文化を発展させた可能性が高いと考えられています。
②アラブ半島からの移住者説
  * アラム人は紀元前2千年紀頃にアラブ半島からシリア北部に移住してきた民族であるという説です。
  * 旧約聖書などにも、アラム人がアラブ半島出身であることを示唆する記述がみられます。
 ※セム語系の古代オリエントの遊牧民。隊商貿易で活躍した。
いずれの説も、確実な証拠に基づいているわけではありません。

 その他、古代イスラエル地域周辺には、フェニキア人、ヘブライ人など様々な民族がいた。

 これらの人々と日本人がどのように繋がるのだろうか❓

 ここでキーワードになるのか❓
 紀元前5000年ごろに西アジアに移住して来た民族である。カナン人である
 どこから移住して来たのか❓
 紀元前5000年は約7000年前となる。
7000年前といえば、日本である事が起きていた。

鬼界カルデラ大噴火(約7300年前)

鹿児島県・大隅半島のポータルサイト:ぐるっとおおすみのサイトより写真転載

 縄文中期に九州地方を襲った大規模な噴火
それにより、当時の九州地方は1000年くらい人が住めない時期があった。
 私の古代史研究では、この当時、ウガヤフキアエズ王朝という古代九州王朝が、この地に存在していた。
 ここから大陸に渡った人たちがいた。
それがスメラ族(アマテラス・スサノオ・ツクヨミ)たちの一族である。
 ※これが日本神話にある三貴神のルーツ

 大陸にわったスメラ族は、西王母神話で有名な中国の崑崙山で三方向に分かれて移動していく。

中国の神話についてはこちらに記載してあります。


 三方に分かれた逸話が、日本神話で語られている。
 伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際の神話
 右目からツクヨミ
 鼻(=真ん中)からスサノオ
 左目からアマテラス
 私の研究では、この神話の内容を分化し移動した方位であると考えた。

 崑崙山を境に
 右=北西に進んだツクヨミ
 真ん中=西に進んだスサノオ
 左=南西に進んだアマテラスと考えた。

黄🟡ツクヨミルート
オレンジ🍊がスサノオルート
青🟦がアマテラスルート

説明動画🎥

 この流れが、どのように伝わっているのか?
①ツクヨミルートの痕跡
 北欧神話のルーンやヴァン神族
 月読命(月夜見命)は名前に月や読むという漢字がある。これは、月を読むなどから暦などの技術や、それらに関連する事が北欧へ伝わり神話の中に関連性が見られる。
②スサノオルートの痕跡
 スサノオチーム(スサ族)は主に騎馬や鉄器の技術を持った武闘派集団の要素が神話にある。
 それは、スサノオを祀る出雲大社などや神話の荒ぶる神の存在にも残されている。
 スサ族の鉄器を伝えるお話は、大陸では鉄器技術を持ち東から西に来たスキタイ族→ヒッタイト(ハットゥーシャ)の鉄器伝来につながる。
 スキタイの音の元は、スーサであり、のちのハットゥーシャという音も、スサノオと関連する。
③アマテラスルートの痕跡
 アマテラス(天照大御神)のシンボルといえば太陽である。そしてアマテラスチームは祭祀儀礼を司るチームである。その痕跡は太陽神を崇めるエジプト神話やギリシャ神話、それ以前のシュメール神話などにも残る。
 このチームは祭祀事などを伝えたチームとなる。その痕跡は各地の神話に残っている。

 ②と③(スサノオとアマテラスチーム)はメソポタミア地域で合流する。そこで、その地域にたどり着いた2チームの事を、元のチーム名スメラ族から地域の人々は、スメーラ=シュメールと呼ぶ事になる。
 そして世界最古のシュメール文明が誕生する。

 その後、バビロニアやマケドニアなど様々な国が地中海沿岸や中東地域に誕生していく。
 その神話の中に牛頭の神(バアル神)やツノを持つゼウスなども出てくるが、これもスサノオの別名(うしとらの金神)とつながる。

 シュメールに辿り着き長い年月の中でスサ族は、複数の民族たちと混血し複数の民族が誕生していった。その中にアワン国(=阿波国)を創ったイン・イムの名を持つ忌部(斎部)たちもいる。
 八咫鏡のヤタやアタの音も、中東に多く痕跡がある。八咫鏡を創ったのは忌部族の中のアマツマラ族である。
 イン・イムの人々は、技術集団となり、ピラミッド建設やジグラットの建設も行った。
 古代エジプトで最初のピラミッドを建設した時の技術者イム・ホテプも忌部となる。
 その後、東にリターンしてきて生まれるのがイン・ダス文明や中国の殷王朝、どちらにもインの音が残っている。

wikiより転載

 さて、かなりユダヤ人のルーツから離れてしまったが、ここまで読んでくれた皆さまならば、どのようにユダヤ人のルーツに古代日本人(=縄文人)が関連しているのか?なんとなく雰囲気を感じていただけたのではないだろうか?

 日ユ同祖論の前に日シュ同祖論があった。
ユダ王国が崩壊した後、その地を追われた失われた十支族+二支族は、日本に帰還する。
 その中で弥生時代に渡来人として、日本にリターンズした組が秦氏や賀茂、海部、忌部などになる。
 秦氏は、途中、秦国や弓月国を経由し日本に帰還した。秦氏たちは失われた支族(エフライム族+レビ族+ユダ族)である。
 ※忌部たちは(斉国・徐国)を経由した。

 秦の始皇帝から遣わされた徐福も、元は忌部たちと同じルーツを持つ一族である。秦と忌部も、長い歴史を辿ればスメラ族なので同じルーツになる。

wikiより転載


 日本の神話は、日本という国だけで起きた事ではなく、もっと広い世界をフィールドにした神話だった
 世界に残る神話のベースと日本神話の内容が酷似している。

 宇宙神話縄文HOUSEの研究のベースに、この事が大きく繋がっています。
 今後も様々な、文献や遺跡、文化や風習、言語や民族の歴史を考察します。

 最後まで読んでくれて、ありがとうございました🙇‍♂️

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