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休養と上達

「休む」という言葉の中に、「遅れを取る」とか「やらなければいけないことをやらないでサボる」というニュアンスを感じることはないだろうか。

休まずに続けることを、美徳とするべきではない。

私たちは、休んでいるときに自分自身に何が起きているのかを意識することができない。

だから、「休む」ということに対して、どのような効果、価値、意味があるのかを見つけにくいのだと思う。

しかし、これは実にもったいないことだ。

「トレーニング」とは、脳に情報をインプットすることだ。いわゆる「身体で覚える」というのと同じで、身体の感覚を通じて、脳に情報をインプットしている。

つまり、「走り込み」とは、膨大な量のデータ収集に他ならない。

ここで重要なのは、トレーニングをしている最中に上達しているわけではないということだ。

なぜなら、トレーニング中はあらゆる情報を脳にインプットしている時間だからである。コンピューターで例えるなら、新しいアプリをインストールしているときだ。

もちろん、インストール中には、まだ新しいアプリを使うことができない。

インストールをして、新しいアプリ・機能を使えるようにするには、インストール後に、再起動(シャットダウン→起動)をしなければならない。

実は、私たちの脳にも同じような機能が備わっていて、情報をインプットする機能と、その情報を保存(整理)する機能がある。

ただ、脳はその2つを同時にできないので、まずインプットしておいて、後で保存するのだという。

そして、情報の保存(整理)は、脳がリラックスしているときや、眠っているときに行われているのだ。

だから、脳の神経細胞というのは、実際にトレーニングをしているときよりも、ぼーっとしているときや眠っているときの方が活動しているのだ。

しかも、インプットした情報をそのまま保存するだけではなく「洗練された記憶」として保存されているのだという。

そのために、脳内ではインプットした情報が無意識のうちに繰り返されているのだという(=いわゆる復習)。

例えば、1000m×5本のインターバル走をやったとすると、その後休養しているときには1000m×5本が何回も繰り返されている。
更には、深い睡眠に入ると、それを超高速で10回、20回と繰り返して復習しているというのだ。

つまり、深い眠りについているときには、無意識のうちに1000mを100本くらい走っているわけだ。

そう考えると、ぼーっとしているとき眠っているときに、脳は「休養していない」ということになる。

もちろん、眠っているときは、身体的には休んでいるわけなので、身体の疲れは取れるかもしれない。しかし、脳にとってはトレーニングによってインプットしたことを、次に生かせるようにするための時間なのだ。

まさに、「休養も練習のうち」である。

日本の民話として昔から全国各地に残っている「三年寝太郎」のお話も、休養の重要性を経験則として心得ていて、それを描いたのかもしれない。

そう考えると、「1日休んだら取り戻すには3日かかる」という考え方や、「遊ぶ時間や寝る時間も惜しんで打ち込まないと結果が出ない」というような考え方は、「対象に関わった総時間」や「総走行距離」だけに捉われてしまい、休養を犠牲にしてしまいがちだと思う。

睡眠や休養は、インプットした記憶の整理をしてくれる大切な時間。

良い記憶、できるイメージを定着させることも、悪い記憶、レベルアップの妨げになるイメージを取り除くのも、睡眠や休養の力である。

世の中には、それほどトレーニングをしていないのに高いパフォーマンスを発揮できる人や、それほど勉強をしていないのに成績が優秀な人というのがいる。

スポーツでも勉強でも、休むときにしっかり休んでいる人というのは、きっちり結果を出していることが多い。

一方、練習練習と頑張ってはいるけれど、いまひとつ結果が出ない人というのは、情報ばかり詰め込んでそれを整理する時間を作っていないのかもしれない。

マジメな人ほど、「休む」ことに対して、「サボってるような」「手を抜いてるような」「自分に甘えてるような」気がするのかもしれない。

「疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。」

これは、坂本龍馬の言葉の1つだが、「うまくいかないときは寝る」というのは、坂本龍馬も意識的にやっていた方法だ。

パフォーマンスを向上させるためには休養が必要なのだ。

時には、「こんなに休んでもいいのか」と心配になるくらい「休む」とか「睡眠」が大切なこともある。

寝かせて熟成させることによって、価値が上がるワインのように。

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