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長野マラソン2023

4月23日に長野マラソンを走ってきた。

故障もあって、なかなか難しい状況で臨んだマラソンではあったが、大崩れすることなく無事に走ることができたのが何よりだった。
ここで1つの区切りになるので、振り返りをしてみたいと思う。

トレーニングについて

3月5日に東京マラソンを走ってから、長野マラソンまでは7週間の期間があった。

東京マラソンの翌週に名古屋シティハーフマラソン、その翌週に関シティーハーフマラソンがあったので、それをトレーニングの一環と捉えて、距離走を入れながら調整をしていくプランだった。

しかしながら、東京マラソン前からあまり調子が良くなかった左アキレス腱の状態が思ったよりも良くなかった。ここで、アキレス腱に余計な負担をかけてしまったことは認めざるを得ない。

また、その翌週に脚の状態が優れない中で、40km走を強行したことも決して良かったとは言い切れない。

大雨で気温も低く、厳しいコンディションだったので、一歩間違えたらジ・エンドだったように思う。

とは言え、常に痛みがひどかったわけでもなくて、ジョグなら違和感程度の日もあったので、ごまかしながら走っていたのいうのが本当のところだ。

ただ、10kmなら痛みが出なくても、15kmくらいになると痛むことが多かったので、ジョグの距離を短くせざるを得なかったのは難点だった。

また、水曜日のトレーニングも脚への負担を考慮して1000m×3本くらいで終わらせることが多かった。

トレーニングを継続しながら故障を治すというのは難しくて、身体だけでなく精神も消耗したように思う。

週に2回の治療を受けて、調子が上がってきたのが大会の4日前くらい。

直前になって、ようやくスタートラインに立てる目途がついた。
絶好調とは言えないまでも、なんとか走れそうという実感が持てたのは大きかった。

前日のこと

長野市に到着したのは、大会前日。

長野駅の善光寺口

受付をして、雑談をして、開会式に出ただけなのに、ものすごく疲れた。

せっかく長野市まで来たからとは言え、調子に乗って市内を散策している場合ではなかった。ただ、反省はしない。

雑談の様子は後日アップしていただけるとのことなので、乞うご期待。

今回、ふるさと招待選手としての出場ということで夕方は開会式に出席。
YKKの細森大輔選手とは、初対面ながらも親近感が湧いていろんな話をした。でも、どんな話をしたのかはほとんど覚えていない。

みんなで集合写真

レースのこと

今回から長野マラソンは、JMCシリーズに加盟してMGCの「ワイルドカード」の対象レースとなった。

選手村にて

そのため、MGC獲得を目指して先頭集団は3分2秒~4秒/kmでいくということだったので、いけるところまではついていこうと思っていた。

天気予報の気温よりも暑くなりそうで、風も強くなりそうな感じだったが、走り出すとそれほど暑さも風も気にならなかった。

ただ、コース前半のアップダウンはきつく感じた。思っていたよりも、調子は良くなかったのだろう。

5km過ぎの善光寺に向かう上り坂で少し離されそうになり、下り坂でなんとか追い付くも、余裕がないのは隠しきれなかった。

7km過ぎ(中継車から)

その後、8km過ぎのJRを跨ぐ橋のアップダウンで少しずつ離されていった。

ちょっと無理をすれば集団についていけないわけでもなかったが、ここで無理をしてついていく決断はできなかった。

正直15kmくらい、あわよくばハーフまでは集団についていきたいと思っていただけに、精神的なダメージは大きかった。

そこからは単独走でいくこととなった。
前からこぼれて落ちてくるランナーも、後ろから追い上げてくるランナーもいなかったので、前後に誰もいないという状態がずっと続いた。

1人になってからは、ペースは落ちたものの、3分15秒/kmくらいのペースでは走れていた。日頃から単独でトレーニングをしている成果だろう。

10km過ぎ

ただ、ちょっとしたアップダウンがあるとペースが落ちていた。
脚力が落ちていることは明らかだったし、アキレス腱も少し痛みが出てきていた。

ハーフの通過タイムは1時間7分3秒。

そこからも3分15秒/kmのペースで走ってはいたが、25kmを過ぎたあたりから3分20秒/kmくらいにペースが落ちていることに気付いた。

そこは追い風の区間でもあったので、思っているよりもペースダウンしているということでもあった。

その後、34kmを過ぎて橋を渡り、今度は向かい風の区間に入る。

目の前に実業団のランナーが見えていて、少しずつ近づいてきていて、それをモチベーションにして走っていたら37kmで追いつくことができた。

向かい風がそこまで強くなかったことや、脚もわずかではありながらも残っていたこと、実業団ランナーと競って走ったこともあり、35kmからのペースダウンはほとんどなかった。

その後、ラストまで2人で並んで走っていたもののラストは競り負けてしまった。

ラスト1.5kmくらい

フィニッシュタイムは2時間18分23秒、総合10位だった。

長野東高の高校生に撮ってもらった

その結果に対して、良いとか悪いとかそういうことはなくて、シンプルにゴールできた安堵感が大きかった。

長野県選手権のこと

ゴール後は、総合10位ということと併せて「長野県内トップ」ということが告げられた。

長野マラソンと併催されていた「マラソン長野県選手権」で勝てたということだ。県内2位とは31秒と僅差だったことから、後半の失速が大きければ抜かれていた可能性も大いにあった。そういう意味でも安堵感は大きかった。

県内2位の日野選手と一緒に
長野県選手権の記念品

走っているときに流れていた音楽

今回、1人になってから浜崎あゆみの「HANABI〜Episode2」がずっと頭の中で流れていた。

そんなに有名な曲ではないのかもしれないが、浜崎あゆみの昔のアルバム(A BEST2 -Black-)を前日に聴いていたときに、「あ、この曲いいなぁ」と思ったのがきっかけだ。

マラソン当日、朝食を食べた後眠くて20分くらい微睡んでいたときにリピートで流していたのが残ったのだろう。

何とも言えないまったりとしたリズムが心地良かった。

故障のことについて

走り終えた後のインタビューでも話したのだが、マラソンはスタートラインに立つこともすごく大変なことだと思う。

今回、多くの友人がスタートラインに立てなかった。
その理由は人それぞれではあるけれど、私が知る中で一番多かったのは故障だった。

今回は、自分自身にも故障があったため、スタートラインに立つ喜びというのを強く感じたし、走れなかった友人に対して共感することも多くあった。

トレーニング不足からくる不安よりも、故障による不安の方が遥かに辛い。

それを忘れないようにしたい。

ヴェイパーフライ3のこと

今回、ヴェイパーフライ3を履いた。

今回使用したヴェイパーフライ3

このシューズに関しては、「すごく良い」という意見と、「いまひとつ」という意見が飛び交っているけれど、個人的には「いい感じ」といったところ。

反発とか推進力に関してはよく分からないけれど、靴擦れが多く血だらけになることが多い私が、珍しく無傷で走れたことによるポイントは高い。

「エアーのないアルファフライ」という表現をする人もいるようだが、そんなこともなくて「ただのヴェイパーフライ」だと思う。

普通に良かった。

その他のこと(写真等)

ゴール後に選手控室で福村選手、今井選手と記念撮影をした。

記念に1枚

いい感じに撮れているけど、撮影にあたってちょっとだけ指導をした。

「このポーズって、鼻の下伸ばしてへんてこりんな顔をするとかっこよく写るんだよ」と。

そのときのリアクションがこちら。

驚きを隠せない2人

「えっ?!」ってなったことは言うまでもない。

続いて、大人気の三津家君。

走っていたときに、野球少年が「あれ、やってみようの人だ!!本物だぁ!!」と感激していたようで、信州でも彼の人気は絶大だった。

遠路はるばる来てくれて、本当にありがとう。

なお、三津家君と撮った写真を女子に見せたら、羨望の的だったことは言うまでもない。

最後に、アップのときの写真。

競技場にて

隣を走っているのは、ペースランナーを務めた河野さん。
よく見ると、後ろにいるのはニッチローさんだった。

グロスタイム

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