見出し画像

24時間テレビが「別世界の住人」のように映す「障害者」

ここ数年、24時間テレビを見なくなった。もともと徹夜が苦手という理由もあるのだけど、起きている時間もチャンネルを合わせようと思わない大きな要因は、よく言われることだが「障害者」の扱いにある。

ぼくらはみんな障害者

前に一度投稿させていただいたのだけど、ぼくは、いわゆる「障害者」とそうでないと言われている人の違いはあくまでも「相対的なもの」であると思っている

だから、障害自体はぼくら一人一人がたくさん持っていて、例えば、バスに乗るのに苦労するくらい背が高い人とか、泳ぎが苦手な人、滑舌の悪い人だって障害を持っていると言える。うまく卵が割れない人、サッカーが苦手な人、たくさん汗をかく人などなど、多くの人が苦手としていることやコンプレックスを抱えていることも障害なのだから、僕らはみんな「障害者」なのだと思っている

もちろん法律上、「障害者」と認められる人とそうでない人がいることは理解しているし、おそらく24時間テレビは法律上の「障害者」にクローズアップしているのだと思う。

どうしても気になること

でも、どうしても気になることが2つある。

まず一つ目は、「障害者」が「視聴者」とは違う世界の人で、別の世界から「障害者の世界」を映しているように感じることだ。

みんなそれぞれ障害を持っているのに、まるで視聴者はみんな障害がないのだから、「頑張る障害者を見習らおう」そんなふうに見えてしまう。

そして二つ目が、24時間テレビ以外で彼らの言う「障害者」を見ることがほぼないことである。

例えば、バラエティ番組で、車椅子のお笑いコンビが出ていてもいいし、ドラマの主役級ではなくて、主人公の弟が聴覚障害を持っているという設定もあってもいいと思う。実際、僕たちの身の回りの親類いや友人には、障害を持った人がたくさんいるはずだ。

車椅子を使用する女性を主人公にしたドラマや聴覚障害者を主人公にしたドラマはあったが、そこに焦点を当てるのではなくて、もっと自然に、大勢の中の一人として、障害者を持っている人を登場させるのが、普通の世界を見せていると言えるのではないだろうか。

363日間「障害者」を別の世界の住人として扱い、テレビから追い出しておいて、この24時間だけその世界に出かけていく。

今の24時間テレビはそんなふうに見えるのだ。


#習慣にしていること

この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,690件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?