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ジブリが信じ、彫り師を救った「社会常識」の力

昨日「ジブリが静止画を無償公開」というニュースと「刺青の彫り師の裁判」のニュースを同時に見て、両方に共通するキーワード「社会常識」の力を改めて感じた

1.ジブリ静止画の驚きの使用条件

まずジブリが静止画を無償公開したことについて。

通常こういった画像が無償公開されることはないし、されたとしても使用条件が厳しいのが当たり前である中、この静止画の使用条件は

「常識の範囲でご自由にお使いください。」

と書いてあるのみ

ジブリファンが「自分たちで判断して失礼のないように使えばいい」。そういうことだと思う。

「常識の範囲」を具体的に書き出すと「○○での使用禁止、印刷する場合は○枚まで」とか色々条件が出てきて使いづらいけど、こういう示し方をしてくれれば、自分で考えて簡単に使うことができる。実際、この記事のトップに使わせてもらった。

もちろん悪用される心配もある。特に日本は昔から著作権の主張が弱いと言われ、ディズニーのライオンキングが、手塚治虫のジャングル大帝に似ていると指摘された時も「名誉なこと」と答えたと聞いたことがある。

でもジブリは「社会常識の範囲でって言えば、みんな守ってくれるでしょ」とぼくらを信じてくれたのだと思う。もしもこれだけ信頼してくれているジブリを裏切って、非常識な使い方をしたら、ジブリ自信よりも先にジブリファンが黙っていないはずだ。


2.刺青裁判の話

そして、全く話は変わり、刺青彫り師のニュース。彫り師が皮膚を傷つけることが「医療行為であり、医師法違反」であると検察が訴えていた

それに対して裁判所は「皮膚を触るのは医療行為かもしれないけど、じゃあ医者しかできないとなれば、日本の刺青の文化は消えてしまう」そして

「そもそも社会常識的に誰も刺青を医療行為と思っていない中で、突然医療行為と指摘するのは無茶だ」

と判断して、無罪判決を言い渡したのだ(実際の裁判では『社会通念』という言葉が使われている)。

ぼく自身は刺青に興味はないし、一生刺青を入れるつもりはないけど、芸術として刺青を愛している人の気持ちは理解できるし、この裁判は正しかったと思う。


3.社会常識の力

社会常識という言葉は、いいことにも悪いことにも使われるし、コロナ渦においては、常識とかマナーとかによる日本の「同調圧力」が批判されることもあった。

でも性善説を信じるぼくとしては、やっぱりぼくらのもつ社会が形成してきた「社会常識」というものはみんなの善意の塊としてできあがったものであって、大切なものを守ることができる概念なのだと改めて思った。

今回、ジブリはみんなの社会常識を信じて画像を公開した。そして、彫り師はそのみんなが持つ社会常識により救われたのだから。



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