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自称「当たりにくい人」は勘違いである2つの理由

今年はマスクやら食事券やら、色々と抽選の機会が多い一年である。そんな中、ぼくが応募していたシャープマスクの当選メールがやっと届いた。嬉しくて、何の気なしに友人に話したら「運いいなあ。わたし運が悪くてそういうの全然当たらへんねん」と言われてしまった

確かにぼくは、これまでにも雑誌アンケートのクオカードが当たったり、お菓子のシールを集めて応募するキャンペーンの景品を当てたりしたことがあって、年に一回くらいは大なり小なり何かに当たっている気がする。

「当たりやすい」と言われる違和感

でもちょっとまってほしい。何か違和感があるのだ。

というのも、思い返してみると、ぼくはこれまで、彼女が何かに当たって「私こういうのいつも当たらへんねんけど、今回は珍しくいけたわ」というセリフを何回か聞いたことがある。

そう、彼女も決して当たったことがないわけではない。なんだかんだで当たっているのである。

でもぼくは「当たりやすい」と思っていて、彼女は「当たりにくい」と思っている。この違いは何なのだろう。

「当たりにくい」本当の理由

おそらく、2つの理由があると思う。

まず1つは、性格だと思う。

彼女は、大変失礼ながら結構ネガティブなキャラだ(そこがいいところでもある)。いつも結構よくなかったことの話をしてくれることが多い。だから、きっと「当たらなかったこと」を「当たったこと」よりも強く記憶しているのではないだろうか。当選する確率は同じでも、彼女は外れた時のことだけを記憶に残していて当たった時の記憶がなく、一方、楽天的なぼくは当たった時の記憶だけ残している、ということだと思う。

そして2つ目は、そもそもの挑戦数だと思う。

一つ目の原因から繋がる話だけど、記憶の中で「自分は当たりにくい」と思ってしまっている限り、チャレンジしても意味がないと感じてしまうわけで、よっぽど当選者数が多いとか、自分がどうしても欲しいもなければ申し込むことはない。逆に「自分はよく当たる」と自信がある人は次々に挑戦する。当然、1回応募する人と、10回応募する人では、当選確率は単純に10倍違うわけである。

当たりにくい人は実は

でもそう考えてみると、懸賞とかキャンペーンとかを、見かけるたびにとりあえず個人情報そっちのけで応募しまくっているぼくと、自分の興味のあるものだけに慎重に申し込んでいる彼女の挑戦している割合は10対1どころか、もっと開いていてもいいはずだ。

それなのに、ぼくの4、5回の当たりに対して1回くらいは「今回は珍しく当たった」という彼女は、実はむしろぼくよりも運がいいということなのかもしれない。

だから、巷(ちまた)に言う「当たりにくい人」は勘違いだと思う

もし、そう思っている人がこの記事を読んでいたら、これからはもっと「良い記憶を残す」ことに「挑戦」してほしい。

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