「朝日新聞の記事」を読まない理由
今日、アエラドットから配信された、ワクチン予約システムの「重大欠陥」の記事を読んで、ぼくが「朝日新聞の記事を読まない理由」がさらに補強された。
そもそも、生まれ育った家は、朝日新聞をとっていた。週刊誌のAERAも毎週のように親が買っていて、よく見ていた。
だから、子供の頃から朝日新聞の記事を読んでいて、なんの根拠もないけれど「朝日は取材がしっかりしている」となんとなく思っていた。「新聞の中では一番」とある種のブランドのようなものすら感じていた。
でも、今は読まない。
ニュースアプリで気になる見出しがあっても「朝日新聞」、「アエラ」と書いていると、できるだけ開かないようにしている。
なぜかというと「どうせ主観まみれの記事だろう」と思っているから。
もちろん実際はそんなことはばかりではないだろうと思う。他の新聞社や、ネットニュースだって似たようなものなのかもしれない。
ただ、朝日新聞だけは、読もうと思えない。
その理由はうまく説明できない。ただ、社会人になったことがきっかけであったことは、間違いない。
学生の頃は、政府や企業について批判的な記事を見ていてスッキリとしていた。
でも、実際に社会に出てみると、そこにはさまざまな「事情」があることがわかるようになってきた。そして批判されている多くの物事が、決して報道されているような行いによって発生したのではなく、必死に努力した中で生じてしまった結果であることも多いことに気づいた。
そうなった時、逆に「朝日新聞は何をしているのだろう」と思うようになった。
批判はするが、対案を出すわけではない。調査取材をして、何か間違いを防止するわけでもない(めったにない)。とにかく文句を言うだけ。
社会で、朝日新聞の批判に晒される人達は、必死にその批判をカバーしようと走り回っている。もちろん、朝日新聞はその走り回っている人たちを、執拗にカメラ片手に追い立ててはいるのだけど、全く社会をプラスを与えるような行動はしていないのだ。
もちろん、これも全てがそうだとも思わない。社会に価値を出す記事もあるだろう。
でも、今日の記事を見て、やっぱり「何もうまない。批判だけの記事」であると改めて感じた。
だから、ぼくはこれからも朝日新聞の記事を読むことはないと思う。
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