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放火犯に生きて欲しい理由

京都アニメーション放火事件から1年が経過した。悲しい話題であるが、地元京都の事件でもあり、思いを書き留めておきたい。

<お断り>私は京アニの作品にほとんど触れたことがありません。そのため、犠牲者の関係者のみなさま、ファンの方で家族や友人を亡くしたことと同じように悲しんでいる方には、部外者が勝手に不愉快なことを書いていると感じられるかもしれないので、これ以上は読み進まないでもらいたいです。また、もしタイトルを見ただけでも不愉快な気持ちになった方がいたのであれば、ここでお詫びします。



生きていて欲しいと思う理由

京アニ事件にかかわらず、こういった無差別殺人事件を起こした犯人(今回は状況証拠から犯行したことが明らかと考えられ、容疑者ではなく犯人と書く)に対して「すぐに死刑にすべき」、「生かしておく意味はない」といった意見が出ることがよくある。特に今回の犯人については全身大火傷を負い、非常に高度な治療が施されていると報道されている。病院のある大阪と京都の移送にはヘリも使われていることもあり、そういった声は非常に大きかったように思う。

でも私は、犯人に生きていて欲しいと思う。少なくとも、裁判できちんと判決が出て刑が執行されるまでは。

私がそう思うのは2つの理由による。

1 犯人がなぜこのような犯罪を起こしたのか社会的要因を解明して、対策につなげて欲しい。

2 犯人が、心から犯行を反省し、謝罪して欲しい。

社会的要因の解明

1については、こういった大きな事件が起こった時に、犯人の生い立ちなどがマスコミに大きく報道され、事件との因果関係を探し出そうとする動きがある。何か過去に問題を起こしていたら「やっぱりあいつが」、もし過去に何もなければ「大人しいあの人がなぜ」と興味本位での追求が続き、それに至る家庭環境などが報じられることが多い。

しかし私は、そこにプラスして、どのような社会的環境、制度がそのような状況を生んでしまったか、そして、その状況から犯人を救い出す手立てがなかったのか、について議論を深めて欲しいと思う。

松本人志が「人間には何%かの不良品がいる」と発言したように、そういった考え方を持つ人もいるようだが、(私は松ちゃんの大ファンだが)私はそうは思わない。何もない状態で、何万人に1人このような不良品が生まれたのではなく、私たちと同じ人間が、おそらく私たちよりも不幸な社会的な環境の中で、そのような性格を形成させられてしまっているのだと思う

貧困など外的評価がたやすいものであれば、生活保護などの制度もあるが、内面的な鬱憤は、表面上はわからない。でも間違いなく言えるのは、彼ら犯人がもし無人島で一人で生活をしていたら(あくまでも生活ができる水準の物資がある世界であるが)、あのような事件を起こす心理状態にはきっとならなかっただろう。つまり、彼ら犯人は、ある意味我々の社会が、我々の無関心が産んでしまったとも言えるのだ。

私たちが想像できない世界

少し話は変わるが、松ちゃんの話題が出たので少し書くと、お笑い芸人のエピソードトークではよく幼少期の苦労した経験やはちゃめちゃな経験が話される。そのほとんどがユニークな家族に絡むものであるように思う。

そう、家族がいるのだ。確かに「毎年親父が変わって」とか「親父が働いていなくて」といった内容だが、でもほとんどの場合、その芸人が家族に愛されていることが前提の話である。

例えば、家族がおらず施設で育った、ネグレクトされた、暴力を振るわれたといった話題は耳にしない(例外としては「段ボール中学生」があるかもしれないが)。もちろん、そんな話は笑えないから、エピソードにならないのかもしれないが、私が言いたいのは、世間が見聞きする「悲しいエピソード」、「子供時代の貧乏とそれを乗り越えた話」というのは、そこまでだということだ。

本当に笑えない、言葉にもできないような強烈な悲惨な、最悪な環境に生まれ育った人たちの思いや、その鬱憤を私たちが知ることはないのだ。そういった人が犯罪を犯した時、違う世界の人間が偶然まともな世界に迷い込んできたような扱いはすべきでない。私たちは同じ世界で生き、どこかで繋がり、彼らに影響してきているのである

だから、だからこそ、どのような社会的環境、制度がそのような状況を生んでしまったか、そして、その状況から犯人を救い出す手立てがなかったのか、について議論を深めて欲しいと思うのだ。

謝罪し、反省する意味

2つめは、家族やファンでその謝罪をもし受け入れてくれる人がいるのであれば、大きな意味があると思うからである。

新聞報道によれば犯人は病院の関係者に「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」と話したという。1と少し重複するが、この言葉の意味するところは、彼のこれまでの悲惨な社会的環境でないかと思う。そしてこの言葉に、心から反省する可能性を感じるのである。

最後に

亡くなられた方々が戻ってくることは残念ながらない。だが、この36名の犠牲を無駄にしないために、これからできる最も大切なことは、生きている私たちがこの犯人のような人を生まないような社会環境を整え、そして、犯人がこの事件のことを心から反省し、謝罪することであると思う。



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