小説 ヌーの群れを待ちながら

 ヌーの群れが道路を通っていたので反対側へ渡れない。ヌーのやつらは道路交通法なんかてんで関係ないものだから我が物顔で道路を通っていってしまうのだ。仕方ないので待っていると、一匹の若いヌーがのそのそと近づいてきて、

「なに待ってるんですか」と聞いてくる。

「君たち」

 ヌーは困ったような顔をして、 

「ぼくたちは通り過ぎませんよ」

「?」

「ぼくたちはこのずっと行った先で折り返して戻ってくるのです。いってみればずっとぐるぐる回っているようなもんなのですね。だからぼくたちが通り過ぎることはないんです」

「どうしてそんな益体もないことを」と文句を言うと、ヌーは肩をすくめて、

「やむにやまれぬ衝動というやつです、ぼくたちの誰にもなぜこんなことをしているのか一切合切わかんないんですね」

「きみが行って説得してくりゃいいじゃないの、『諸君、ぼくたちはただぐるぐるしているだけですから、こんなことをしても無駄ですよ』って」

「そりゃあ無理な話です」とヌー。その時初めて知ったが、ヌーの瞳の色は黄緑色なのだった。

「人間だって、『どうせ死ぬんだから、生きていたって無駄ですよ』って言ったって、生きるのをやめたりはしないでしょう」とヌーは言った。

 それもそうか。おれは一杯食わされたような気持ちだった。仕方がないのでヌーの動画を撮って「ヌーの群れなう」と書いてSNSに投稿した。

「なんて投稿したんですか」とヌー。

「『ヌーの群れなう』さ」

「なうって古いですね」

「まあね」

 それでその若いヌーと一緒にヌーの群れが通り過ぎるのをじっと見ていた。通り過ぎることはないのだとわかってはいても見ていることをやめることはできなかった。ヌーとおんなじだなと思った。

「夜になってきたぜ」

「そうですね。そんなもんです」

 夜になってもヌーの群れは通り続けていた。ヌーの群れの、誰かおっちょこちょいなやつが街灯をなぎ倒したせいか、辺りは真っ暗になっていた。ヌーの黄緑色の目だけが空の光を反映して、蛍のように何百も何千も宙を浮遊していった。
「ぼくはもう眠くなっちゃいましたけど、まだ見てます?」と若いヌー。

「うん、この道路を向こうへ渡んなくちゃいけないからね」

「大変ですね。本当にそんなことしなくちゃいけないんですか」

 おれはちょっと考えた。ヌーの黄緑色の目をじっと見ていると、おれは子供の頃に友達からもらった玉虫の翅の色を思い出した。どうしてこんなにきれいなんだろうと尋ねると、友達は寂しそうに笑いながら、「それは死んでいるからだよ」と言った。「すべての死んでいるものは美しいんだ」。そう言った友達のめちゃくちゃな嘘のことを思い出した。

「いや、冷静に考えれば、そんなことはしなくてもいいような気もするんだけど」

「じゃあ止めましょうよ」

 そう言われて、やめない理由というのは本当にないんだよな、と自分でも思った。でもやめない理由がないのと同じぐらい、やめない理由を無からひねり出すこともまた簡単だった。おれたちはあんまりにも簡単に自分を駆動してしまう理由を生み出すことができるものだから、自分の考えで歩いたり物を食べたり踊ったりすることすら、いつの間にかできなくなってしまうのだ。 

 そうなのだ。そうやってずっとおれたちは、なにも意味のない行動に油を注ぎ続けてしまっているのだろう。そうしてその行動の総体を、人生と呼んでしまっているのだろう。益体もないのに。輝かしいものの一つもないのに。

 急速にばかばかしくなってきた。なんとなくSNSにもう一度ヌーの動画を投稿するかという気分になり、「依然ヌーの群れなう」と投稿した。それが精一杯だった。なにかに対して。 

 若いヌーがまたしても興味を示してきて「なんて投稿したんですか」と聞いてきた。

「『依然ヌーの群れなう』さ」と答えると、若いヌーはツボに入ったのか「うっひゃっひゃっ」と笑い転げた。おれはそれがなんだかよかった。なにもよくはないけれども。