小説 宇宙犬

 うちで飼っている犬は自分のことを犬型宇宙人だと思っているので、散歩とかに行くときも、

「まがりなりにも宇宙人に首輪をつけようとするのは宇宙人権の侵害だワン」と文句を言ってくる。そうは言っても散歩のルールなのだから、

「市の条例的なやつで散歩中の犬には首輪を付けましょうっていわれているから、ペロに首輪を付けるのはやむを得ないよ」と説得すると、犬はワオワオウオンとうなりながらしぶしぶ同意してくれる。

 散歩中、冬の夜の星のきれいな空の下を歩いているときなどはよく、

「ペロは宇宙のどのへんからきたの?」と犬に尋ねた。犬はワンと鳴いてから「あのへん」と言うのだけれども、ぼくには犬の前足が指している方向がいっつも違っているように見えてしかたがない。

「そりゃ地球は自転してるし公転もしているからワン」

 なるほどね。犬はとっても頭がいいのだ。宇宙人というぐらいだから当たり前なのだろう(たまにぼくの宿題がわからないときなど、「ペロ、この計算の答えはなに?」と聞くと、「そんなもんChatGPTにでも投げておくんだワン」と身も蓋もないことを言ってくるところなんかも好き)。

 つまり、犬が宇宙人だろうがそうでなかろうが、ぼくは犬のことが大好きだったのだ。そんな当たり前のことを、ぼくはよく何度も何度も思い出した。どうしてすぐ忘れちゃうんだろう。人は大切なことから忘れていっちゃうんだろうな。

 すると犬がふと、「ワンは宇宙人だからいつか故郷の星に帰らなくてはいけないのだワン」と言い出した。

「そうなの?」 

「そうなんだワン。ここには地球の文化を吸収するために一時的に滞在しているだけなんだワン。駅前留学みたいなもんなんだワン」

「そうなんだ……」

 犬が帰ってしまうことを考えてぼくはしょんぼりする。ベンチに座って犬の頭を撫でていると、犬はぼくの気持ちを知ってか知らずか足の間に頭をずぼっとうずめて撫でやすいようにじっとしてくれる。すべての犬は撫でられるために生まれたのだと言っていただれかの言葉を思い出す。ぼくは存分に撫でてあげなくちゃいけないのだ。わしわしわし。

「もしもきみが宇宙に帰るときは、ぼくは一緒には行けないのかな」

「地球人(アーシアン)は連れて行ってはいけないことになっているんだワン。でもほんのちょっとだけなら大丈夫」といたずらっぽくウインクする犬。

「そうなの?」 

「ワンは宇宙行政書士の資格を持っているんだワンから、そういう法の抜け穴をたくさん知ってるんだワン」と犬。なんだかよくわかんないけどすごいや。

「だからワンが帰るとき、たけしくんがまだワンと一緒にいたかったら、たけしくんのことをちょっとだけ連れて行ってあげることもできるワン」

「うん、ありがとう、ペロ」 

 そう言ってぼくは犬のことをぎゅっと抱きしめた。日に焼けた匂い、それから湿った毛皮の匂い、それらがみんななくなってしまう日のことを考える。

 そんな日が来なければいいのだけれども、でもいつか来てしまうその日のためにぼくは覚えておくよ。きみの形やきみと話したことのすべてを、みんな。 

「たけしくん、そろそろ別の公園に行き、そこでワンが何回見てもどうしたって陶酔してしまう、なぜか夜でも元気よく噴出している噴水に街灯の光があたって魔法のようにきらきらと輝いているところを見に行きたいワン」

「よしきた」

 ぼくたちは立ち上がって歩いていく。犬はお気に入りの公園に行けるので足取りも軽くすっちゃかすっちゃか歩いていくのだ。 

 空を見上げる。この頭の上にあるたくさんの星のどこかにあるきみの家のことを考えながら、あるいはきみのお尻の毛が光を反射してきらきら輝いていることを考えながら、あるいは狂犬病の予防接種に行くときのきみの魂がぶるぶる震えていたことを考えながらぼくたちは歩いていく。次の公園まで。次の次の公園まで。