小説 通っている医者の先生に

 通っている医者の先生に「煙草をやめないと死んじゃうよ」と脅されてしまう。先生には肺の方を見てもらってるわけではないので、本当にどうしようもなくなるまでは吸うのはやめないぜ、と思いながら近くのハンバーガー屋さんでお昼を食べた。

 お店を出て、煙草吸いたいなあと思っていると、ちょうどクリニックの入っているビルから出てきた先生とばったり遭遇してしまう。ちょっと気まずいぜ、と思ってると、

「お、煙草吸う?」と先生。

「はい?」

「このビルの屋上が喫煙所なってんのよ」とクリニックの入っているビルを指しながら言う。

「全館禁煙なんだけど、入居者向けにはそういうところで煙草吸える」

「じゃせっかくなんで」と先生と一緒にビルの屋上に行った。

 喫煙所というか、単に灰皿が置いてあるだけの、排気ダクトとかがちょろちょろしている屋上で一服する。 

「お仕事の方はどうなの」と先生が聞いてくるので、

「景気悪いですね」と答えるのだけれども、それは当たり障りのない話をしているわけではなくて本当に景気が悪い。そのうち弊社は潰れるだろうなという漠然とした焦りもあって、煙草の本数も増えるというものなのである。

 紙巻きのピースの早くも二本目を吸っている先生の口から紫煙がぼわぼわ気持ちよさそうに出ているのを景気が良いなあと思って見ながら、 

「そんなに吸ったら患者さんから嫌がられません?」と聞くと、

「今日はもうお昼で終わりだからいいんだよ。これから学会に行くんだよ」と先生。

「人には言うくせにご自分では吸ってらっしゃるじゃないですか」

 苦笑いしながら指摘すると、

「それが医者のいいところだよ」とにやりと笑う。

「自分は不養生でも人には偉そうに言えるんだ。いい立場だよ。あなたも会社を辞めて医者になんなさい」

 などとだらだら話している間に、先生はすぐさま三本目に火をつける。

「吸うの早くないですか」

「紙巻き煙草は先端の方が一番うまいんだよ」

 あ、そういう思想の人。

「この商売やってるとさ、やっぱりみんな死んで行くんだよね」と先生。

「辛いですか」

「そこはまあ商売だからね」

 本当なんだか嘘なんだかわからないぐらいの感じで先生。

「でも顔見知りがある日突然来なくなるっていう、そういう感じだから。不思議だよ。訃報がさ、直接聞けるわけじゃないから、どっか行っちゃったのかなって感じだけがする。引っ越しちゃったのかなって」

「不思議ですか」

「うん。あっ、でも今は営業時間外だから、あなたに煙草を吸わないでねとは言わないよ。営業時間中しか言わないからね、そういうこと」

「吸ってるときに言われるほどまずくなることはないですからね」

「わははは。はい、お土産」と言いながら三本目を吸い終えた先生がポケットからピースの箱をくれた。

「なんです?」

「せっかくなんでまた禁煙しようと思ってね、あげるよ」

「わたし、最近はもうアイコスしか吸ってないんですけど」

「アイコスだって体に悪いんだよ、あ、言っちゃった、まずくなっちゃうね、ごめんね。あなたに言った手前、まあ自分でも禁煙しようと思ってね」

「何回目ですか、禁煙」

「十回目ぐらい」

「プロですね」

「まあね」

 それから先生は煙草を灰皿に突っ込んでから、

「わたし先に行くから、屋上出る時はドアに別に鍵かかってなくて全然出れるから大丈夫。じゃ、お元気で」と階段を下りて出て行ってしまった。

 忙しいんだろうなと思いながら、せっかくなので久々に、紙巻き煙草を吸ってみようかなということでピースに火を点けてみた。甘かった。

 曇り空の下で吸う煙草が一番うまい。うまいなと思えている間は、まだ吸っても大丈夫なような気がした。