小説 怪獣の熱線観察
ゴジラ的な怪獣がやってくるという警報が流れたので早速高いところに登って熱線を見物しにいくことにする。ずいぶん不謹慎なことを言っているようだが実際にはそういうマニアがたくさんおり、
「今日の熱線は青くてきれいだったね」とか「去年の熱線は橙色ですてきだったよ」とか言い合いながらSNSに写真をアップロードして一万いいねとか付いているのだ。
それで今日も高台に登って観察しますかとペンタックスのKー5(カメラの名前)を持ってえっちらおっちら近所の丘に登っていると、そこに中学の頃の担任が現れて、
「おっアキヤマくんじゃないの」と声を掛けてくる。じろり。先生もカメラを胸から下げているところを見るにご同輩だ。ぼくは非難されるんじゃないのという懸念を払拭してほっとした。
「先生も熱線ですか」
「先生も熱線です。見給え、今日の怪獣は背びれが大分ガク付いているよ」
先生が楽しそうに首を振る(なおガク付いているというのは怪獣の背びれがウニの針のようによく動いているというジャーゴンで、このようなときの怪獣はとくにいい色の熱線を吐くことが期待されるのだ)。
「先生は一昨年の伊豆大島大蹂躙のときには風邪で寝こんじゃってたんだよね、だから今回はそのリベンジだよ」と嬉しそうに話す先生は実に良かった。
丘の上にたどり着くとすでにたくさんのマニアですし詰めだ。ぼくたちはかろうじて手すりの隅に体を押しこんで撮影場所を確保した。
すると待ってましたとばかりに怪獣が熱線を吐き出した。まばゆい光が空をつんざいたかと思うと、だいぶ遅れて空気の震える甲高い音が東京湾を挟んだここまで轟いた。カメラのシャッター音が不祥事の謝罪会見のように響き渡った。
「光るなあ」
「今日のは七色に光っているよ、ゲーミング熱線だよ」人々は嬉しそうに言い合った。
「どうしてあんなに恐ろしい熱線があんなにきれいなんだろうねえ、やばいねえ」
カメラを構えながら先生は言った。
「やばいですねえ」とぼくはファインダーから目を離さないまま讃嘆した。
それからしばらく怪獣は熱線を吐かないままずしんずしんと都市を蹂躙し続けた。ぼくらは早く次の熱線を吐かないかなと期待していたのだけれども、不意に怪獣が進路をこっちの方に変更してしまったではないか。
すると丘の上に警報が鳴り響いた。みんなの持っているスマホにインストールされている怪獣警報が、怪獣の頭の向いている方向50キロメートルの範囲にいる人たちに向けてブザーを鳴らしたのだ。丘の上は騒然となった。
当然みんな逃げはじめる。ぼくも急いでカメラと三脚をカバンにしまったのだけれども、逃げない人たちも何人かいて、先生もその一人だった。
「先生、危ないですよ」
と言うと先生はくるっと振り返って、
「先生はねえ、人生の最期にどんな光景を目に焼き付けて死んでいこうかなって考えたときに、あの怪獣の熱線を見ながら死ぬのがいっとういいんじゃないかって思ってる思想の人でね」と言って笑った。壮絶な笑みであった。
「やばいですね」
「でもわかるだろうきみなら」と先生。
ぼくは頷いてはいけないような気がしたのだけれども、頷かないのもなにか自分の大切なものを裏切るよなあ、という気持ちになったので、
「はい」と頷いた。先生は「へっへっへ」と薄気味悪い笑みを浮かべた。
「先生が今でも覚えているのは、小さい頃にやっぱり怪獣に襲われたとき、体の弱かった兄が入院していた病院が光の中に消えていくのを高台から見ていたことなんだけどね」
「めっっちゃ重いですね」
「まあね。でもその時の色がさあ、何色だったと思う? 刺すようなクロムイエローの光でさ」
先生は早口でまくし立てた。その語り口は狂気そのものだったが、同時にどこまでも正気で目の前の出来事に対峙しているような口ぶりでもある気がした。
「その色を見たわたしはただただ打ちのめされて、どうして自分が今あそこにいないんだろうって考えたんだ。兄の代わりに自分があそこにいなかったんだろうって、病に苦しむ兄じゃなくて、自分こそがあそこにいればよかったんじゃないかって思うんだ」
先生は語った。
「でも本当は先生そんな殊勝な心がけなんかじゃぜんぜんなくて、単に羨ましかっただけだったんだよね。あの光に包まれて消えていった兄が」
先生はふっと言葉を詰まらせ、それから首を振りながら、
「兄の死をそんなふうに思ったことの罰なのか、それともそもそもそういう生来の性質でしかないのか……それ以来、わたしはずっと熱線に取り憑かれて西へ東へ右往左往しているというわけさ。教育者としてはよかないけどね」
そうですね。
「理屈を説明したところでさようなら、もしこれが今生の別れになったとしても、先生は美しい光の夢を目に焼きつけながら死んだのだからなんにも悲しいことはなかったんだって思ってくれ。ではでは」
そう言いながら先生はファインダーを覗きこんで、それきり二度と振り返らなかった。
丘を駆け下りながらぼくは先生の言葉を思い出していた。人生の最期にただひとつの美しいものを目に焼きつけて滅んでいく先生のことを。
それは死というよりも救済に近いのではないかと思った。誰かに与えられたものではなく、ましてや強引に奪い取ったものなどでは決してない、自分で選び取ったささやかな救済のことを。お兄さんの魂を運んでいった光のなかに自分も引き連れていこうとする意思のことを。
それを救済と呼ぶのならば、先生はまさに救われるためにカメラのファインダーを覗き続けるのだろう。
光を見るために。光になるためだけに。
階段を降りきったぼくは急に、丘の上に残っている先生や他の人たちのことが、うらやましいと思うような気持ちになったのだった。
怪獣がまた熱線を吐いた。空が一面に黄色くなって、お寺の鐘のような音があたりに鳴り響いた。勝ち誇るような怪獣の鳴き声が、耳に長く長く残った。