小説 隣に越してきた時限爆弾

 隣に越してきた時限爆弾が挨拶に来てくれて、
「そろそろ爆発するんじゃないかと思うんですけど、仲良くしてくださいね」とタオルをくれた。
 ありがとう。でもできればどっかへ行ってほしいなあ、と思ったのだけれども、せっかく挨拶に来てくれた方を無碍にするのもなんなので、部屋に招待してお茶をあげることにする。
「いいお部屋ですねえ」 
 爆弾はお世辞を言ってくれた。人品卑しからぬ爆弾だった。
 それで世間話をしながらお茶を飲んでいると、ちょうど爆弾の胸のあたりに「タイマー」が表示されているのが見えてしまい、気になって仕方なくなってしまう。きっと残り時間が表示されているのに違いない。ちらっと見てやろうとするのだけれども、角度の具合なのか光の具合なのか見ることはできなかった。がっかりする。
 爆弾は上機嫌に話し続けた。 
「それでね、別れた、いやまだ手続き上は別れてないんですけど、形の上では別れた妻が言うんですよ。あなたみたいな、いつ爆発するかわからないような人とは以上付き合ってはいられませんって」
 そりゃそうだろう。
「そりゃわたしだって爆発なんかしたくない、したくないですよ、いやちょっと嘘ですね。爆発はしたい」
 したいんだ?
「爆弾に生まれたからにはこの命、燃やし尽くしてみせましょうというのが本音ですけれども、でもその途中で誰かに愛情を注ぐことだってできるんです。爆弾だって誰かを愛せるんです。そのことを妻はとうとうわかってはくれませんでした」
「なるほどねえ」
「あと娘も」
「娘さんもいたんですね」
 すると爆弾はぽろぽろと涙を流しながら、
「爆弾に生まれたというだけでどうしてわたしはみんなから嫌われてしまうのでしょう。うう、娘に会いたい、娘のニトちゃん(※ニトログリセリンの略)に会いたい」
 どうやら爆弾はカフェインで酔っぱらえるタイプの人らしかった。お茶をぐびっぐび飲みながら飲んだ分だけするする涙を流して悲嘆する爆弾。
「大丈夫ですよ、きっと娘さんにも会えますよ」
「ううっ、ずびっ(鼻を啜る音)、ありがとうございます。ずびびっ」
 初対面なのにすっかり出来上がって涙をこぼしている爆弾を見ていると、わたしはなんだか力になってやりたいな、という気持ちになってくるのだった。この人がなにをしてきたのかはわからないのだけれども、でも今わたしの前にいる爆弾を憐れんだり祈ったりすることはべつに間違いじゃないだろうと思ったのだ。 
「大丈夫ですよ、大丈夫、きっと大丈夫です」と爆弾を慰めた。
 そうこうしているうちに爆弾はぐでんぐでんに酔っ払ってしまったらしい。
「ムニャ。すみません、すみません、こんな、人のおうちで。ムニャ」と壁にしなだれかかって目を閉じてしまいそうになる爆弾。
「いいんですよ、自分のおうちだと思って、どうかくつろいでください」
「すみません、すみません、ううっ、ぐすっ」 
 爆弾は泣きながら眠りだした。首を前に垂らして目をつむる爆弾を見ていると、泣きながら眠るすべての人にやわらかい毛布あれかしとわたしは思った。
 それはそれとして、いまがタイマーを覗きこむチャンスではないか、と気がついたわたしは、爆弾を介抱するふりをしながら胸元のタイマーをちらっと見た。
 タイマーは残り五秒になっていた。
「えっ」
 なにかの間違いじゃないか、そう思ってまばたきをした。三十回ぐらいまばたきをしたけれども、ちっとも表示は変わらなかった。
 残り五秒。何回見ても、あと五秒と書いてある。いや、いま、四秒になった。
 わたしは自分でもわけのわからぬすっとんきょうな悲鳴を上げた。
 すると爆弾が目を少しだけ開きながら「どうかしました?」と心配してくれた。
 いや、あなたのねえ! タイマーがねえ! と言いかけたけれども、でもこの人はきっと自分のタイマーが残りどれくらいかなんて知らないし、きっと見たくても見えないのだろうな、と気がついた。
 なぜなら、時限爆弾が自分の残り時間を知ることができたとしたら、きっとすべてが嫌になってしまってやけっぱちの人生を送り始めるのに違いないからだ。
 だから爆弾は本当に、ただただ、悲鳴をあげたわたしのことを心配してくれただけなのだと思う。
 そう考えると、急に爆弾のことが愛しく思われてきた。わたしは爆弾をそっと抱きしめた。自分でもわからぬ気持ちがあとからあとから湧いてきた。
「なんです、なんです?」
「なんでもないです」 
 すると爆弾がぎゅっとわたしを抱きしめ返してくれた。はっとした。この世界がどうしようもない世界で、わたしたちが生きていくのにはあんまりつらい世界であったとしても、わたしたちはお互いを抱きしめ合うことぐらいはできるんじゃないか。そしてもしかしたらそのことだけが、わたしたちがお互いに生きていることの意味なんじゃないかって。ただひとつの意味なんじゃないかって。
 タイマーの数字が0に変わっていく。わたしはそっと目を閉じ、それから自分が存在しなくなる一瞬のあとの世界にも、希望や夢みたいなものが残っていたらいいなと願った。