小説 それじゃあ悪霊じゃないですか

「実はわたしもう死んでいるんだ」と先輩。
「知ってます」
「あ、そうなんだ。もうちっと驚かしたかったのに」
「流れてきましたもん、ニュースで」
「そっかそっか、ちっ」
 舌打ちかよと思う。でもそういうところも含めてこの人のことが好きだったんだなと思い出す。結局ふられてしまったけれども。 
「わたしがいなくても世界がちゃんと回っているかどうかを知りたくて見に来たんだけどさ」
「はい」
「別にちゃんと回ってたからがっくりだよ」
「がっくりなんですか」
「そらそうよ。わたしがいなかったら世界はきちんと回っていないでほしいんだ」
 いたずらっぽく笑う先輩。するとぼくはどういう顔であなたが笑うと胸を射抜かれてしまうのかということを思い出してしまう。
「時間が経ってもずっと、わたしのことは悲しんでいてほしいんだよね」
「それじゃあ悪霊じゃないですか」
「いいじゃないの、生前はずっといい子だったんだから、死んでからぐらい悪い子になったってさ」
 生きてたときから悪い子だよ、ぼくにとっては、と思いながら、
「ぼくは、先輩のいない世界に生きていたって仕方がないって今でも思ってますよ」と言うと、
「えー? そ、じゃあ一緒に死ぬ?」
 それじゃあほんまもんの悪霊じゃないですかと考えて、それから別にいいかと頷いた。
「ええ、はい」
「よっしゃー。じゃさっそく死に場所を探しに行こう、どこで死にたい?」
「景色のきれいなとこがいいです」
「『海の見える丘公園』に行こう、わたしゃあそこが好きなんだよね」
 それで公園に着いた。
「ほいじゃあこれ」
 と先輩がカバンから取り出してきた錠剤をしげしげと見つめた。なんだろこれ。
「毒薬」
「どっから出てきたんです」
「カバンから」
「いえそうではなくて出自を……いやもうなんでもないです」
 ぼくは先輩から話を聞き出すのを諦めて薬を飲んだ。
「あっさり」と少しさみしそうに先輩。
「まあ」
 わかってる。先輩はちょっとぼくに同情してくれているのだ。でも同情の言葉なんて聞きたくないし(嘘、ちょっとは聞きたい)、今は先輩の仲間が増えることを喜んでほしい。
「先輩のためなら醤油だって飲めますよ」
「兵役拒否者みたいだなあ。効いてくるまでしばらくかかるから、ここでお話してよっか」
「はい」
 あの世ってどんなところなんですかとか、先輩って子供の頃どんな子供だったんですかとか、学生の時ぼくのことどう思ってたんですかとか、そんなことをつらつらと話しているうちに、やがて薬が効いてきたのか眠くなってくる。
「先輩」
「そっか、いよいよだね」 
 視界が霞んでくるのに比してあたりのものがぼんやりと明るく輝きだす。あともうちょっとでぼくは行きたいところへ行けるのだ。
 ぼくはむくっと眠たい頭を起こして、
「ねえ、いろんなところへ行きたいです、先輩と一緒に、あの世のいろんなところに連れてってくださいよ」
「いいよ、いっしょに行こうか」
 先輩は微笑みかけてくれる。ぼくは無性にうれしくなる。こんなたくさんうれしくなったことなんてしばらくなかった。
「よかった、夢みたいだ、うれしいな。行きましょうね。いろんなとこへ行きましょうね。公園とか、水族館とか。あの世にはどんなものがあるのかな、ぼくわかんないです、教えて下さいね。きっと教えて下さいね」
「そうだね、いっしょに行こうね」
「ああうれしいな。先輩といっしょです。ぼくたちはいっしょに行くんですね。遠くまで行くんですね」
「うん、そうだね、遠くまで行こうね」
 それから先輩はすっと立ち上がって、どこかへ向かって歩き出した。ぼくはぼんやりする頭で先輩を見上げた。
「どこ行くんですか」
「コンビニ」
 ぼくは不安になってしまって、
「すぐ戻ってきます?」と尋ねた。
「戻ってくるよ」
「いやですよ、どっかへ行ってしまっては、ぼくといっしょに行ってくれる約束ですよ」
「うんうん、わかってるよ、わかってる」
「ぼくを置いて行かないでくださいよ。きっとそこに居てくださいよ。せっかく先輩と会えたのに、また離れ離れになりたくないです」
 それから先輩はぼくの方へ振り返って、泣きそうな顔になりながらちょっとだけ笑って、
「ごめんね」と言った。
 なにがごめんねなんですか、と言おうと思った。でももう口がまわらなかった。先輩の姿が遠くなって、夕闇に掻き消えるように薄く儚くなっていった。
 ぼくは抗えなくなって目を閉じてしまった。先輩の最後の顔がどんな表情だったんだろうと、そればっかりを気にしながら。

 気がつくと公園のベンチの上だった。ずっと寝転んでいたらしい。時計を見ると夜の十時で、海はもう見えないくらい真っ暗になっていた。
 ああ、帰らなきゃなと思う。家に帰ってお風呂入って寝なくちゃ、とそんな当たり前のことをわざとらしく考えながらぼくは起き上がった。なにか考えていないと泣いてしまいそうで、ぼくはスマホを見たり独り言をつぶやいたりしながら歩き出した。
 でもやっぱり歩いているうちに涙がでてきてぼくは顔を拭った。こんなことで泣いてたまるかという気がした。あんたみたいなやつに泣かされてたまるかと思った。でもやっぱり耐えきれないでぼろぼろとこぼれてきた涙と洟をティッシュで拭っていった。悔しかった。
「連れていく根性もないんだったら」
 と洟をかんだ。
「最初から出てくるんじゃないよ」とつぶやいた。つぶやいたせいで、さっきよりもずっと悲しくなってしまった。先輩が亡くなってしまったときだってちっとも泣かなかったのに、どうして今になってこんなに涙が出るんだかわかんなかった。
 もうこの世にはいない人の、その腹立たしい優しさに、死にたくなるくらい身悶えながら、ぼくはどこへともなく歩いていった。