小説 巨大な肉まん

 家に帰ると巨大な肉まんがいた。大きめのお皿ぐらいのサイズで、今まさにセイロからでてきたばっかりのようにほかほかの湯気がでていて、香ばしい香りがふくふくと鼻につくではないか。
「どうぞわたしをお召し上がりください」と肉まん。 
 弱った。ぼくはもうご飯は食べてきてしまったのだ。
「実はお腹いっぱいなんで、食べるのはむりなんだよね」
 肉まんはがっかりしたようだった。
「肉まんなんて別腹ではないですか」と肉まんは言うものの、何しろ巨大な肉まんなのだ。いまのお腹ではとても食べ切れない。
「また明日食べるから、明日来てくれないかい」
 肉まんは肩を落として落胆した。とぼとぼと背中を揺らしながら、キッチンの採光窓から出ていくのだった。

 次の日も家に帰ってくると肉まんがいた。
「今日こそは食べていただきますよ」とにっこりと肉まん。
 だが実のところ、ぼくは昨日肉まんとかわした約束のことなんかすっかり忘れてしまっていた。帰宅の途中でおいしそうなチャーハンのお店に入ってしまったのだ。
 ぼくはちょっとだけバツの悪い気持ちを感じながら、
「すまないね、今日もお腹がいっぱいなんだ」と言った。肉まんは反論しようとしたらしかったけれども、でも「胃袋の大きさを変えることはできない(お腹が一杯で食べてもらえなかった肉まんたちのことわざ)」ことに気がついたのか、がっくり肩を落とした。
「いや、いいんです、急に押しかけて、食べてくれなんて言ったわたしのほうが悪いのです」と肉まん。
「ぼくの胃袋が十分に大きかったらよかったのだけれどね」
「いいんです、いいんです、また来ます」
 そう言うと肉まんはキッチンの採光窓から出ていった。その背中にはなんだか哀愁が漂っているのだった。

 次の日も家に帰ってくると肉まんがいた。ぼくは「あっ」と口元を抑えた。今日は退職する同僚の送別会があって、肉まんのことなど忘れてご飯を食べてきてしまったのだ。
 肉まんはぼくの表情を見るとすべて察したらしかった。
「あの」
「いいんです、いいんです、どのみちわたしはもうだめでしょうから」
 そういうと肉まんの表面にぴしぴしとひびが入っていった。
「どうしたんだい」
「生地が乾燥してしまったんです。具もおんなじです。わたしはそんなに日持ちする食品ではないものですから」
 肉まんはぼろぼろと崩れ落ちていった。
「ああ、そんな」
「夢を見たんです」
「いったい」
「あなたに食べてもらえるという夢です。やった、食べてもらえた、そう思ったのもつかのま、目を覚ましたらわたしはまだ居ました。まだなくなっていませんでした。まだ食べ物として、みじめな食べ物のままとしてこの世に居たのです」
 肉まんは崩れながら呟いた。
 ぼくは自分のうかつさを呪った。どうしてご飯を食べてきてしまったのだろう。どうして肉まんを食べてやれなかったのだろう。時間は戻らなかった。子供の頃、些細な喧嘩で絶交してしまった友達のことを、どういうわけか思い出した。
 ぼくは頭を抱えて苦しんだ。その時だった。
「そうだ!」
 ぼくはあらゆる食品の鮮度を復活させるという「鮮度復活剤」が家にあることをひらめいたのだ。
「待ってて、今、きみを助けるよ!」
 そう言ってぼくは鮮度復活剤を手に取り、崩れゆく肉まんに吹きかけた。プシュー。鮮度復活剤が肉まんの四肢に沁み渡っていったかと思うと、肉まんの体がみるみる元通りになっていった。生地と具はみずみずしさを取り戻し、今しがたセイロから取り出したばかりであるかのように、湯気さえ立ち上ってきたではないか。
「ああ、こんなことが」
 肉まんは復活した自分の身体を見下ろして感涙に咽んだ。
「ありがとうございます。あなたはわたしの命の恩人です」
「言うほどのことではないよ」 
 本当にそうだった。ぼくはただ鮮度復活剤をかけただけなのだ。肉まんが復活したことはうれしいけれども、それは褒め過ぎというものだよ、と謙遜する。
 肉まんは襟首を正してぼくに向き合うと、
「では、改めて、わたしを食べていただけないでしょうか?」と言った。
 ぼくはわざとらしくお腹を抑えて、それから自分がぜんぜん空腹ではないのを思い出すと、
「うん、今日のところはごめんね」と言った。
 肉まんはちょっといらっとした顔になった。