小説 天井裏の忍者

 天井裏に忍んでおれの命を狙っている忍者が捨て犬を拾ってきて、

「忍犬に育てるでござるよ」と言い出した。

「忍犬?」

「忍犬、それはすべての忍者の夢……心を通わせた犬と一緒に敵の城に忍びこみ、力を合わせて暗殺し、そして厳しい使命を達成したご褒美にぽかぽかした丘の上で二人でジャーキーなどを食べるのでござる。はあ。憧れるでござるなあ」と頬に手を当てて夢見るように忍者。

「そういう憧れがあるもんなの?」 

「あるでござる。布団に入りたくなっちゃった忍犬が夜中にのしかかってきて、目が覚めてしまうのなんかも憧れるでござる。くう。たまんないでござるよ」

「おれは手伝わないから一人で育てろよ」と言うと、忍者は真面目な顔をしながら、

「当たり前でござる。おぬしを殺すための訓練をするのでござるから、愛着を持ってしまうなど不届き千万でござる。おぬしを見たら喉笛を噛みちぎるもんだと思えとそういう教育をしていくでござるよ」

「物騒な教育だなあ」 

 だが、そんなことを言っているそばから愛想よくぺろぺろとおれの顔を舐めてくる犬。太陽の匂いがする。実にかわいい。

「よしよし、飼い主に似てない素直ないい子だな」

「あーっ。やめるでござる。そいつの喉笛を噛みちぎるのがウドンコ丸の使命なのでござるよ。ぺろぺろすんなでござる」

「かわいいなあ。もう名前つけてんの?」

「おぬしもなに黙ってぺろぺろされているでござる。あっちいけでござる」

 だがそのあまりの人懐っこさにふと疑問を覚えて、 

「めちゃくちゃ人懐っこいから、捨て犬じゃなくて単に迷い犬なんじゃないの?」

 忍者は一瞬、目に迷いの色を浮かべながら、

「そんなことはないでござる。この子は段ボールに入れられて橋の下に捨てられていたでござる」

「そうなの」

「雨のそぼ降る夕暮れ、『拾ってください』というマジックで書かれた段ボール箱、そっと傘を差しかける拙者。『おぬしも捨てられたのでござるな……』『クゥーン』。そこから二人の生涯に渡る友情が始まる……」と犬との出会いを目をきらきらさせながら力説する忍者。 

 おれは「頑張ってね」と言いながら犬のあごの下を大いに揉み上げ、しっぽがぶんぶん楽しそうに振られているところをにこにこしながら見つめていた。

 それから忍者と忍犬との厳しい修行の日々が始まった。

 忍者が毎日気ぜわしく犬を散歩させたりボールで遊んだりしているところをぼけーっと見ていたのだけれども、一応、おれを殺すための訓練という名目なのは忘れていないらしく、

「このおぬしを模した人形の喉のところにおいしい汁を塗って、犬が噛みつくように訓練をしているのでござるよ」と、どこから調達してきたのか等身大の人形に刷毛で汁を塗り始める忍者。

「犬がぺろぺろ舐めてるぜ」

「ついでにおぬしにも同じ汁を塗っておくでござる」

「おいやめろ。臭い汁を塗るんじゃない。犬がくるだろうが」

 すると犬がきておれの喉をおずおずぺろぺろと舐め始めるので困る。たいへん困る。

「かわいいやつだなあ」

「舐めてる場合じゃないでござるよ、さっさとそいつを噛み殺すでござる。おぬしは百獣の王、ライオンでござるよウドンコ丸。デストロイでござる」

「ポメラニアンには無理だろう」

 そのときだった。通りかかった人が、

「あーっポチ」と叫ぶ声がした。

 なんだなんだと思っているうちにこちらに近づいてくるその人。すると、忍犬がうれしそうに飛び付いていったではないか。

「すみません、この子、うちの子で」

 頭を下げる通りがかりの人。忍者は突然のことに目を白黒させながら、

「えっと、でも、その子は捨てられていたのですけど……」とおどおどしながらたずねると、

「ごめんなさい。この子は別れたお父さんからのプレゼントだったんですけれども、一緒に暮らしてるお母さんがそのことを気に入らなくて、定期的にこの子を捨てていっちゃうんです」

「それはもう別れたほうがいいのでは……」

「はい。そうなんです。四月からこの子と一緒に一人暮らしします。でもそこを見計らってお母さんが捨てちゃって……優しい人に助けていただいて良かったです! ご迷惑をおかけして、すみませんでした!」

 と忍犬改めポチを抱っこしながら笑顔で去っていく元の飼い主。

 さぞやがっかりしてるだろうなと忍者を見ると、忍者は気丈にも笑みを浮かべながら、

「これで良かったのでござるよ。所詮、忍犬とは修羅の道、ウドンコ丸の幸せとは相容れないでござるよ……」とつぶやいた。おれはなんとなく忍者の顔を見られなかった。

 その晩、忍者は珍しくおれを殺そうとしなかった。

 気になって天井裏を覗きに行くと、忍犬と遊ぶために買ってきたボールが月明かりに照らされて青磁のように光っていた。忍者はそれを見つめながら、じっと物思いにふけっているらしい。背中から寂寥感が伝わってきた。

「おい、ボウリングでも行こうぜ」と声をかけると、忍者は驚いたように肩をびくっと震わせて、それから目元を拭ったあとに、

「まったく。おぬしはいい加減、自分が拙者に殺されるさだめにあるということを理解するでござるよ」

「じゃあ連れてってやらんぞ」と降りようとすると、忍者は慌てて天井裏を降りてきて、

「しょうがないから付き合ってやるでござる。犬のいなくなった悲しみは、おぬしのような凡人には耐えがたいものでござろうからな」と付いてくる。

 月の綺麗な夜だった。たくさんの犬たちが夢を見るように散歩をしていた。犬の長い蒼い影を見つめながら、すべての犬が飼い主と一緒にいられたらいいなと祈った。