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『ドライビング・ミス・デイジー』の小ネタ

 老齢の未亡人。ミス・デイジー(ジェシカ・タンディ。高齢の女性でも、未亡人なら〝ミス〟なのか、それとも〝愛称〟なのか……いや、これは小ネタではありません)は、夫が残した大きな屋敷に住んでいて、なおかつ運転手を雇っているのだから、それなりの金持ちのはずだが、他人、特に同年輩の女性には、「贅沢な生活をしている」とは思われたくないという意識の持ち主のようで、スーパーマーケットにも、自分が歩いていくと運転手のホーク(モーガン・フリーマン)に言い張る。ホークは自分は運転手として雇われたのだから、仕事をさせてくれと言う。ミス・デイジーは、渋々、自動車に乗るが、その途中で、自分がいつも使っている道と違う、と言う。「この道の方が近いです」と言うホークに、「歩き慣れた道がいいの」と言い張るミス・デイジー。運転席とバックシートで押し問答を繰り返しているうち、切れてしまったミス・デイジーが、「Uターンしなさいと」と言うと「着いちゃいました」とホーク。渋々,車から降りたミス・デイジーは、ホークがスーパーの駐車場に止めた自動車のキーがついたままなのを見ると「ギブ・ミー・キー」と言う。字幕は「キーを預かる」と訳していたが、正直言って、キーをつけたまま、自動車から出てきた、ホークのケアレスミスだと思うのが、日本人の一般的な反応だと思う。実はそうではない。モーガンフリーマンも「ミスった」みたいな演技はしていない。「やれやれ……ミス・デイジーときたら……」という感じだ。ここはミス・デイジーが、金持ちなのに倹約家であることを描いているのだ。
 というのも、少し前に、読んだことで驚いたのだが、アメリカは戦後の、1950年代あたりまで、駐車場に止めた自動車のキーは、そのままにしておくのがエチケットだったそうだ。いざとなったら、自動車を誰でも動かせるようにしておく、というエチケットで、日本と違うと、日本人の学者だったか、評論家が書いていて、事実、だったんだと、『ドライビング・ミス・デイジー』を見て、思った次第。多分、「古き良きアメリカ」の話で、今は廃れていると思うけど、自動車がないと生活ができないアメリカでは、こういうモラルが生き残っている可能性はあるかもしれない……という小ネタです。

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