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溝口健二の『近松物語』

 溝口健二の『近松物語』を見る。例によってアマゾンのプライムビデオだが、溝口については『雨月物語』と、あともう一本、芸者ものを見たように思うけれど、なんといっても『雨月物語』に尽きる人だちいう思いがあって、『近松物語』について、ありきたりというと言い方が悪いが、心中ものだろうと思って敬遠していた。『大阪の宿』がタイトルが気にって見たとしたら『近松物語』はその逆というわけだが、その前に、石原裕次郎のデビュー作『陽のあたる坂道』を十分くらい見て、到底、見るに耐えない作品であることがわかり――いや、好きな人は見ればいいと思うけど――その口直しのつもりで『近松物語』を見たら、これが面白いのなんの。溝口らしいというより、ハリウッド映画のように面白い。
 進藤英太郎演じる強欲な金持ちの商人(以春)の後妻となったおさんを香川京子、その商家の手代、茂兵衛を長谷川一夫。この二人が心中覚悟の逃避行に出るという話なので、ありきたりの心中ものと言えないわけではないのだが、それまでの事情が普通とはかなり違う。逃避行に踏み切ったのは、兄に「どうしても」と言われて夫の以春のハンコを使って、窮地に陥ったおさんの方で、茂兵衛はことの成り行きでおさんに従ったという感じ。もちろんこれには金の貸し借りの他に、以春の家の使用人の少女(南田洋子)が、以春に迫られ、自分は茂兵衛と夫婦になることを約束したとウソをついたりしたこと等々の事件が介在しているわけだが、複雑なのでとりあえずはしょるとして、二人が不倫関係にあると世間に思われているが、実際はそうではない。例えば二人が逃避行の最中、宿屋に泊まると、中居さんが布団を敷いて枕を二つつけるのを見て、茂兵衛が「我々はそんな関係ではない」と言って、別の部屋で寝る。しかし、逃避行を続ける二人には、それをあかす手段がなく、二人は琵琶湖に身を投げる決意をする。そしれ茂兵衛が「私もすぐ後に続きます」と言って、おさんの足を紐で縛るが、その時、茂兵衛が、「私はあなた様をずっと好きでした」と告白をする。驚いたおさんは、突然、「心中はやめる。私はお前と一緒に生きたい」と言う。あれれれ……近松の心中ものは、「死んで、世間に対する恨みを雪ぐ」という構造だと思うけれど、まるでちがう。と思ったら、これは、大阪で起きた心中事件をもとに近松と西鶴が書いた物語を川口松太郎が混ぜ合わせて書いた小説が原作なのだそうだ。ともかく、かくして二人は逃避行をはじめる。不倫は死罪にあたるが、夫の告発がないと成立しない。以春は、妻を告発すると妻との仲がうまくいっていないことが世間に知られることになり、ひいては商売にも差し支えるということで、捜索に出かけた使用人たちに、二人の死体が見つかったら、おさんの身体だけ、見つけた、茂兵衛の死体は捨てるようにと言うが、豈図らんや、二人は心中はせずに生きたまま逃げているを知って、嬉しいやら、悔しいやらという複雑な心理になる。……とまあ、そんなサスペンスに富んだストーリーだが、茂兵衛役を長谷川一夫にしたのは映画会社で、溝口健二は、当初、それを拒んだという。
 最後、おさんと茂兵衛は幕府に捕まる。そして、「張りつけ」けという極刑となり、馬の上に処刑場に向かう背中あわせで縛られたおさんと茂兵衛を道端で見ている女たちが「二人のなんと晴れやかな顔だこと!」と、褒め称える中で映画は終わるが、本当に晴れやかな顔に見えたのは、香川京子で、長谷川一夫はそんなに晴れやかな顔には見えなかったように私は見えた。要するに『近松物語』は香川京子の物語だと思う。その香川京子曰く、溝口監督は非常に厳しい人で、自分が納得するまで、演技指導を一切せず、延々とやらせるそうだ。だとしたら、ラストシーンの香川京子の晴れやかな表情は溝口から解放された笑顔だったのかもしれない。映画の演出って、そういう面がある。例えば、驚いた顔がうまくいかない場合――ベンヤミンが言っていることだが――背後でピストルを撃って驚かせるという方法もある。また、溝口が、谷川一夫に難色を示したというのは、そんな無茶振りの演技指導を、大スターに強いることはできないと考えたのかもしれない。溝口健二は、目上の人間にはひたすら弱く、その分、下の人間には厳しくあたるという人間的にはかなり問題がある人物のようで、奥さんは、そんな夫の扱いに耐えきれず、精神に異常を呈したという。実際の話、茂兵衛を長谷川一夫ではなく、『大阪の宿』の佐野周二みたいな純情無垢な役者だったらと思ってしまう。どこかで読んだのだが、溝口健二は『大阪物語』という作品を構想中に亡くなってしまったという。こ、これは……と考えてしまうのは、私の牽強付会な解釈というより、すぐれた芸術家によく現れる現象だと思う……と言うのは、やっぱり牽強付会かな?

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