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世界遺産 広島平和記念碑(原爆ドーム) ー 平和への祈りが込められたモニュメント

1915年 チェコの建築家ヤン・レツルの設計の美しい煉瓦造り建築。 広島県物産陳列館として誕生し、後に広島県産業奨励館と改称された建物。それが 原爆ドームの元の姿。

1945年8月6日 人類史上初めての核兵器によって 広島市街は壊滅状態に。 産業奨励館も鉄骨がむき出しになりましたが、爆風が ほぼ真上から垂直に吹いたため 倒壊は免れ現在のような形になりました。

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手前に原爆死者慰霊碑。 後ろに原爆ドーム。

 当初 原爆ドームは保存を望む声と つらい記憶なので取り壊しを望む声の両方がありました。そんな中 保存運動が本格化したのは 1歳で被爆し 16歳で白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記が大きなきっかけになったと言われてます。

「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう。」という言葉が多くの人の心を打ちました。

そして 多くの人たちや広島市民の平和への働きかけにより 広島平和記念碑(原爆ドーム)は 1996年世界遺産登録実現になりました。

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広島平和記念資料館。 資料館内部には 戦争の恐ろしさを生々しくを伝える多くの展示品。

広島平和記念碑(原爆ドーム)の世界遺産登録に関しては 世界遺産委員会21ヶ国が 満場一致で賛成したわけではありませんでした。 中国が賛否保留、アメリカは不支持でした。

アメリカでは 原爆投下は第二次世界大戦を早く終結させるために必要だったと思っている人もいます。 どちらか一方の国が正しいということではなく 戦争が起きれば 関わってた国々は全て痛みがあり犠牲が残ります。


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平和の鐘。この平和の鐘の音が世界中の人の心に届くことを願われます。

いわゆる「負の遺産」と言われている「原爆ドーム」ですが、一人の人間として、平和へ祈りをこめて 世界遺産登録に尽力した方々の思いが 一人でも多くの人に伝わることを願っています。

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