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WIPのアウトプットを出せば、人生少しだけ変わるかもしれない話

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

という文章を、村上春樹先生はデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭で書いている。仕事でもプライベートでも、いくら頑張っても完璧なアウトプットは存在しないと思っているし、物事に対する自分の過程を見せ続けていく中で人は成長していき、アウトプットの質は高まっていくものだなと思う。

仕事においては、最低限のクオリティーが求められることは間違いない。なので完璧なものは存在しないという前提に立ったとしても、目的を最低限達成できるようなアウトプットが求められる。

ただ、プライベートにおいては、最低限求められるクオリティーなどない。単純に、アウトプットをするか、しないか。ただそれだけである。

数日前にある文章を書いて、友人に見せてみたところ、的確なアドバイスを受けた。僕はその文章をいつか修正しようと思って、外に公開することをやめた。

今日、偶然その文章を読み返してみて、「あれ、なんでこれ公開しなかったんだっけ」ってなった。そこにあった文章は、明らかに僕の考えの軌跡だったし、未来の自分の思考のたたき台となるものだった。外部からの評価はさておき。下書きにおいておいたらそのような貴重な自分の軌跡に気づかず、失われてしまう。

WIPとは「Working in Progress」の略で、ソフトウェアエンジニアをしている人には馴染み深い言葉だ。プライベートにおいて、WIPなアウトプットをたくさん出すことは自分の人生を豊かにすることができるのではないかと最近思う。

理由は二つある。一つ目は自分の考えを残すことができるという点。文章や画像を通じて自分が考えていたことの軌跡を残すことによって、自分の考え方の成長・変化を逐一確認することができる。満足感を得ることもあれば絶望することもあるが、自分の成長の記録が観れて面白い。

二つ目は、何の気なしにアウトプットした内容に、周囲が食いつくことがあり、そこから交流が生まれる点である。適当にアウトプットしたWIPな考えに、賛同したりしてくれる人がたまにいる。そこから交流が生まれて、自分と人との関係が広がっていくことがある。関係を広げると、自分の人生の可能性が広がる感じがするし、事実そうなる。

誰かがWIPで何かしらをアウトプットしたところで、世界は大きく変わらないけど、自分の周りの小さな世界は少しだけ変わる可能性がある。WIPな考えは即座にアウトプットしてみることもたまにはいいかもしれない。

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