『映画世界のダンディ』① アラン・ドロン in「サムライ」 都市の甲冑としてのトレンチ・コート

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 この映画のアラン・ドロンの青い瞳は氷のように冷たく、まったく感情を表に出さないその役柄はまるで無感情の冷血動物のようであり、彼が着ている少し野暮ったい、襟を立てたトレンチ・コートやハットは彼が生きるハードな世界から彼を守る鎧のような、まさにサムライの甲冑のごとき印象を観るものに与える。

 母親がドロンのファンだった。中学生のときに衛星放送でやっていたアラン・ドロン特集を、母親がきゃあきゃあ言いながら録画していたのを覚えている。恐らく家族の目のない昼間の家事の合間にきゃあきゃあ言いながら観ていたのだろう。同じ頃に出合った藤子A不二雄の昔のマンガなんかを読んでいても、アラン・ドロンは美男子の代名詞としてその名前をよく見かけた。当時の日本での人気の高さがうかがえる。おもしろいのは女性と同じくらい男性もきゃあきゃあ言っていたらしいということだ。女子がきゃあきゃあ言う男の二枚目スターなんて、大体世の男は反感を持つものだが、ドロンの場合は女性以上に男のファンが多かったとよく聞く。彼が出演していた映画に男性に人気のジャンルであるギャング映画、アクション映画が多かったこともあるだろうし、彼の演じる役が孤独、ストイックで、時に病んだキャラクターであったりするのも男性ファンの心をがっちり掴んだようだ。そう、アラン・ドロンは単なる二枚目スターではない、複雑な内面を見るものに感じさせる。彼の澄んだ青い瞳は、役柄によってがらりと印象が変わり、深い森の奥にある、哲学的な深さをたたえる湖のような存在感がある。とにかく母親の影響もあり、自分にとって男前といえばアラン・ドロンというのが決まり文句のように強く植え付けられていった。
 そしてそんな自分が初めて観たドロンの映画がジャン・ピエール・メルヴィル監督「サムライ」。メルヴィル監督が好んで描いてきた男の美学、ハードボイルド・ロマンがいかんなく発揮された最高傑作であり、10代の男子が初めてこういう世界に触れるのにこれ以上ないような最適な1本だった。ストイックというよりは虚無感が全体的に漂う、セリフや説明を必要なものさえ排した静かな映画で、今まで観たことのなかった、正義も悪もない、その沈鬱な世界は強烈な印象を自分に与えた。
 その非情で沈鬱な世界観をあらわす装置としてもっともわかりやすく機能していたのがドロン演じる暗黒社会のヒットマン、ジェフ・コステロのファッションであった。細身の黒いスーツ・タイは60年代のスタイルだが、それを覆う少しゆったりしたシルエットのダブルのトレンチ・コートにソフトの中折れ帽は、メルヴィルが強く影響を受けた30年代の米フィルム・ノワール映画における定番のファッションだ。当時の定番と、過去のスタイルがミックスしたようなどこかいびつなこの組み合わせにおける、トレンチ・コートの少し浮いた存在感は、メルヴィルの意図したものであったにちがいない。
 ナイトクラブのオーナーを射殺する「仕事」の最中、そのナイトクラブの女性オルガン・プレイヤー(モデル出身のブラック・ビューティー、キャシー・ロジェがとても印象的に演じる)に姿を目撃されてしまうというミスを犯したジェフは、自分の雇い主である組織、そして警察からも追われる身となり、だんだんと追いつめられてゆく。どんなに追い詰められても彼が無表情で、冷静沈着であることは変わらないが、彼のトレンチ・コートは皺が寄って、雨にうたれ、街の埃をかぶって薄汚れていく。まるで彼の窮地を代わりに物語るかのように。主人公がトレンチ・コートを着たハード・ボイルド映画は数あれど、この「サムライ」のようにギャバジンの生地が衣服を通り越してまるで甲冑や鎧のように見える映画は、他に思いうかばかない。そもそもトレンチ・コートとはその名の通り第一次世界大戦の折に英軍兵士が塹壕(トレンチ)で着ていた防寒用のコートが発生。その出自はミリタリー・ウェアなので、そもそもが「鎧」の一種といえるだろう。メルヴィルは、アメリカの白黒映画で着られているトレンチ・コートに鎧を見たのではないだろうか。その彼が「サムライ」という題名の映画を撮るのに、主人公がそれを着ないわけがなかったのだ。腰のベルトを締めることにより、裾が少し膨らむそのシルエットはまさしく武士の甲冑だ。
 この映画が発表されたのが1967年であることにも注目したい。時は若い世代が中心となって新しい価値観を謳歌したスウィンギング・シックスティーズの円熟期であり、パリは政治的にも、若い世代による革命の時代を迎えようとしていた。ジェフのハードボイルド・スタイルはとっくに時代遅れの、不釣合いなものであったはずだ。この映画は時代錯誤のファッションの男が、時代錯誤な生き方を信望し、その生き方に死んでゆく物語である。それは多くの時代劇で描かれる武士の姿に通じるものだろう。まあ、ハード・ボイルドってだいたいそういうものです。
 ラスト、目撃者のオルガン・プレイヤーを消すと見せかけて、ジェフは張り込んでいた警察に自分を撃たせ、自死のような最後を選ぶ。このラスト・シーンではジェフはトレンチ・コートを着ていない。ナイトクラブという場所柄か、着ているのはクロンビーのコートだ。甲冑を脱ぎ、折り目正しく死に臨んだかのようにみえる。静かな男の静かな映画は、何発かの銃声のあと、最後まで静かに終わる。

 それにしても、男性向けファッション雑誌やネットの記事で「定番」アイテムとしてアクアスキュータムあたりのダブルのトレンチ・コートが紹介されているのを見ると、違和感がある。こんなこと言ったらなんだが平均的な現代の日本人男性がダブルのトレンチ・コートを着こなすのは、とても難しいのではないかという気がする。いいとこ銭形警部のコスプレだろう。そう思ってしまうのはやはりこの映画のアラン・ドロンがあまりにもかっこよすぎたからだ。自分もはたちの時に古着のダブルのトレンチ・コートを買ったことがあった。自分が着るとちょうどこの映画のような、少し余裕のあるシルエットのサイズで、一瞬頭の中にドロンの姿が頭によぎったが、鏡に映った自分は見るも無残なものだった。だいたいついこの間まで高校生だったガキにトレンチ・コートのスタイルなんて似合うわけがないのであった。いや、36歳の今でも似合う自信がない。もちろん、なにか着る度にアラン・ドロンが頭に浮かんでそれと自分を比べてしまっていたのでは、しまいには裸で街を歩かなくてはならなくなるだろうから、平均的な人生を歩む我々男性はどこかで折り合いをつけなければならない。

 ハード・ボイルドな生き方をしていない場合は、シングルのトレンチ・コートをおすすめします。

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