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「雪が好きだから」という訳が、ぼくを思いがけない世界に導いた。『新潟やまざと就農記①』

 ぼくらがこの古民家を買って越してきたとき、近所のおじちゃんがぼくに言った。
 「東京の大学をでて、こんな田舎に来るなんて、よほど都会は仕事が無いんだな」
 就職氷河期の頃の話ではない。いまから6年前の2016年。いや、ちがう。とぼくは思ったけれど、このおじちゃんに上手く手短に説明できる気もせずに、ただ
 「いや、好きで来たんスよ。笑」
とだけ返事をした。

 東京の名の知れた大学をでて、こういういわゆる限界集落に来て、田んぼを借りて、農家になる。
 もちろん、その間にはそのときなりの事情と自然な成り行きがあったのだけれど、それを初対面の人が想像するのはさすがに無理というものだし、自分だって社会に出たばかりのころ、15年後にこうなっているとは夢にも思わなかった。

 その時々、それぞれに存在した「事情と成り行き」の詳細はまたおいおい振り返っていくとして、記念すべきnoteの投稿1本目の今日は、ぼくが大学を卒業し社会に出てから今日にいたるまで、一貫して変わっていない “軸” の紹介をしてみたい。

移住ではじめたコメ農家と農家民宿

 ぼくらは新潟県内の山のなかの集落で、農家民宿を営んでいる。前述のように売りに出ていた古民家を買い2016年に移住してきて、翌2017年からコメ農家と農家民宿の営業を始めた。
 以前は東頸城郡大島村と呼ばれ、平成の大合併以降は上越市大島区となっている。すぐ隣の十日町市の松代地区や松之山地区には、全国に名だたる美しい棚田やブナ林があるが、ひと山越えたここを観光地として認知する人はまずいないだろう。

 お泊りにきてくれたお客様に集落の案内をしていると、「なぜここに来たのか?」という質問をよくいただく。

 そして、それに対するぼくの答えは決まっている。
 「ひとえに、人のご縁で」

 この家を紹介してくれた人も、その人と親しくなるきっかけを作ってくれた人も、さらにその人とぼくを引き合わせてくれた人も、みんなぼくが(当時は友人だった妻に誘われて)ここ上越市にやってきてからつなげていただいたご縁だった。
 そもそも、農業研修をうけるために初めて新潟に来た妻と違い、ぼくはそのとき既に妙高市民。新潟出身ではないものの、新潟県民歴は五年ほど。毎冬通っていた学生時代も含めれば新潟とのご縁はかれこれ十年以上に渡っていた。妙高高原の小さなホテルの支配人をしていたぼくは、次の冬までにつなぐくらいの、ひと夏の農業アルバイトのつもりでやってきたのであって、まさかそのまま結婚をして家を構えることになるなんてね。

最初はやっぱりスキーから

 社会人になってからの自分は、ずっとアウトドア業と宿泊業を仕事としてきた。というよりも、スキーが好きだったのだ。スキーがしたかったから、山小屋で働き、冬はスキースクールの末席に加えてもらって居候で置いてもらえるペンションで寝床を確保した。
 ゲレンデも滑ったが、ぼくが本当に好きだったのはバックカントリーという自然の山や斜面を登って滑るやつ。つるつるガチガチの堅氷からまるで抵抗を感じないふわふわの新雪まで、千差万別に姿を変える氷の結晶の不思議さと美しさに惑わされ、魅せられて……。
 20代の頃のじぶんにとっては「雪を最大限に楽しめること」が何事においても重要な選択基準であり、それを実現するための手段であり道具がスキーだったというわけだ。

刹那の美と、蓄積の美

 では、そんなに「雪が好き」なスキーヤーだったぼくが、なぜスキーリゾートでの仕事と暮らしを手放して農山村での人生を選んだのか。

 それは、簡単にいえば、ぼくがここに来て初めて本当の雪国の奥深さを知ったからだ。最高の一瞬・一本を追い求めるスキーが “刹那の美学” だとしたら、はるか縄文・弥生の時代から雪のなかに暮らす知恵や技術を積み重ねてきたこの土地でぼくが見たのは “蓄積の美学” だった。
 もっと誰にでも分かる言い方をすれば、日本人のだれもが「原風景」的と感じる四季の風景がまだまだ健在で、その四季の自然とともに生きる「伝統的な暮らし」が今でも毎年きちんと繰り返されていることを知り驚いたのだ。そしてそこには稲作という要素が必要不可欠で、稲を育てるのには棚田がなくてはならず、その棚田に命を与えるのがすなわち「雪」だった。

 同時にまた、雪国の暮らしはあらゆることが雪を中心に設計されている。冬のあいだは雪に閉じ込められることを前提に、仕事、冬の生業、食糧確保、建物構造、生活用品、暮らしのペースなどが伝統文化として育まれた。
 雪と森と稲。その自然調和力、イマドキな言い方をすれば持続可能性の高さよ!

直感に素直に生きたら、こうなった

 20代で雪の物理的側面に熱中したぼくは、30代になって、今度は雪の文化的側面に魅せられた。
 そして、これを国内外の旅行者に伝える宿をやればきっと面白い!今だってスキーも嫌いではないが、それよりももっとワクワクする素材を見つけてしまった。農家になりたかった妻と、宿ヤだったぼくが出会った時点で、何をするべきかは一目瞭然だ。じぶんの直感に素直に生きることを信条にしていたぼくに、迷いはなかった。

 だから、「どうしてこんなに雪が大変なところに?」という質問や「なぜこんな山奥でコメ農家??」という疑問には、いつもこう答える。

 「それは、雪が好きだから。大好きな雪を追いかけてきたら、ここでコメ農家をすることになったんです」と。

(最後に)ちょこっと宣伝

 新規就農から5年。集落の高齢化と担い手不足から、田んぼの面積も大幅に増えてきて、2022年の春からは「いっしょに働いてくれる仲間(従業員)を雇い入れる」という挑戦を始めます。
 現在、春からの従業員を募集するとともに、その資金確保のためのクラウドファンディングにも挑戦をしているところです。

 募集期限は2月28日と残りわずかですが、ご興味ある方は是非覗いてみてください!m(__)m


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