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制作の過程に存在していたもの

まっさらな状態からアート活動へと踏み出し、感覚に集中する時間が必然的に一日の多くを占めるようになっている。

始めたきっかけは全く明確ではなかったし、本当に突発的だったものの…
なぜか創っていく過程には軸みたいなものが存在しているのがわかっていた。だからモチーフやテーマを決めなくとも、いつも正解ルートみたいなものがある。
それは俗にいう正しい・間違いのものとは違っているからすごく表現が難しく、描いている自分の中でも「なんか違う」「すごくいい」という曖昧な判断でしかなかった。
だけど、それでもその感覚を信頼して描き続けていくうちに生み出す過程には秩序的な存在があることが分かってきた。

アート=自己表現として捉えていたときは、わたしが生み出しているものは”自分”がキャッチして知覚できた色と動きを具現化させたものだと思っていた。
しかし、それだと作品の源はわたし自身ということになり、エネルギーの流れは一方的なものにしかすぎなくなる。ある意味で傲慢なものという感じ。

だけど、最近悟ったのは”わたし”と”宇宙”(これもひとつの名詞でしかない)の調和からなる産物であるということ。
つまり共創であったということ。自己表現の域ではなかった。

だからわたしが勝手に思いつきで筆を動かすのでは生まれないものであるし、それは単なる無秩序でしかない。無秩序では美しさが宿らない。

次の段階はいかに”わたし”を溶かしながらも”わたし”として調和循環して製作できるかということだろう。

まぁ、こんなこと理解してもらう必要は一切ないし、表立って書くことでもないのだろうけど、覚書みたいなものとしてこの「note」に記しておこう。

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