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鬱の記録ノート 12日目 自分で自分を満たすこと

夜が明けたので畑へ行き収穫をして、実家へ寄った。
眠気と戦うさなか「やりたいことリスト」を作った。
そのうちの一つ島原旅行の予定を立てる。横になったら眠ってしまった。
目が覚めると13時。飯食って帰る。
仕事の前に一時間ほど家事をした。
マウンテンバイクで街乗りでもしているかのような姿勢で、
ネオソウルを聴きながらママチャリを漕ぐ。

仕事終了。さすがに疲れた。充足感に満ちた疲労だ。
しかし一日を通して不安ではなかった。昨日の休暇が聞いたのかもしれない。気持ちだけが忙しく、余裕なく急いでいるようだ。
また家までママチャリを漕いで帰る。


前項にも述べたがいつかはなかなか叶わない。
島原旅行は計画したものの、結局コロナにかかっていけなかった。
その日その日を楽しく生きるしかない。

僕は楽しむのが得意だ。
POPEYEを読んでMTBにあこがれを抱いたが、すぐに買う金銭的余裕はない。
それでMTBの姿勢みたく前傾姿勢でママチャリにまたがり立ち漕ぎスタイルで仕事へ向かう。おかしいかなそれで結構満足なのである。
立って自転車に乗ることが交通法的に最適かというとわからないが、視点が一段上がっていつもの景色も新鮮に映るのだ。
車よりも広く、バスよりも臨場感あふれる視野での通勤となる。
あらゆる移動手段があるが立ち漕ぎは、その最たる感動を与える。
世俗的にもう少し普及すべきとすら感じる。
要は楽しみ方は自分次第。意識の持ちようで、気持ちの充足感は埋めることができる。そして、自分で自分を満たすこととは、新たな創造性を生み出す行為なのかもしれない。これはかなり考証な技術なのではないかと自分のことを褒めたくなった。どんな状況でも楽しめた方が豊かでいられる。
どんな状況でも大丈夫。と考えられる思考の筋力は少しづつ育んでいきたい。

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