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自分の器を空けて入ってきたもの

最近はとにかくどこに進むべきか、溜まったエネルギーの向かう先も無く悶々とした日々を送っているのですが、結構この日々自体は大事かなーとも思っています。

一日何かをやめてみる

私の愛読書、夢を叶かなえるゾウのレッスンの中に「一日何かをやめてみる」というものがあります。

ぱんぱんに入った器から何かを外に出すんや。そしたら空いた場所に新しい何かが入ってくる。それは、勝手に入ってくるもんなんやわ。たとえば、自分の周りで会社辞めたやつも、意外としぶとう生きてるやろ。それは、会社辞めることで空いた器に何か新しい仕事が入ってきてるからやねん。

夢をかなえるゾウ

人間にはキャパがあって、今の状態を正しいと思っていないのなら、何か正しくないと思うものを捨てなさい、ということだと思います。

もう少し踏み込むと、やりたくないことで器がいっぱいな状態が最悪かなーというところです。だってそうですよね。

1,やりたいことで器を埋められいる→幸せ
2,やりたいことで器を埋められていないから器を空けて入ってくるのを待っている状態→次にやりたいことで埋められる可能性がある
3,やりたくないことで器がいっぱい→次のステップにいけない

こういう書き方をすると、3番なんてしないでしょって感じですが、ほとんどの人は3なのかなーという気がします。というのも、この2番の状態ってまあまあ不安なんですよね。

釣りの針を下ろして魚が掛かるのを待っているのと似たような状態で、いつ来るのかも分からないし、何が来るのかも分からないという状態です。

魚が掛かったとしてもそれが本当に狙っていたものなのかを見極めないといけないです。焦りもあるし、いろんな不安もある中でこの正しく見極めるところが本当に難しいなーと思います。

今の自分はどうなのか

ちょっと今の自分の状況に当てはめてみると、今の私は空いた器に一旦フリーランスという働き方で器を半分くらい埋めたような状況かなと思います。

フリーランスの仕事自体は普通の会社員よりも少なく、かなり余裕を持ってやれているところと、会社員ほどのしがらみはないので、器をちょっと空けられている、かつ、必要になれば空けやすい状況は作れているようなかなーという感じでしょうか。

空いている器に入ってくるもの

この空いている部分に何が入ってくるかっていうところなんですが、最近はいろんな刺激に敏感になれている気がして、何かこうなりたいなーと思う瞬間が結構あったりします。

昔はこんなにお金を稼いでます、みたいな人をみるとすげーな、こうなりたいなー、みたいなことを思っていたのですが、最近は自分のやりたいことミッションに向かって、本気で泥臭く頑張っている人を見ると、とても素敵だなーと思えます。

ちょっと前に町田のマルイに行ったのですが、そこでポップアップストアとしてカフェとかコーヒー豆の販売を行っているお店があって、中米でコーヒー農園の見学とかに行ってた自分はちょっと興味を持ち、少し話をしました。そのお店は、アメリカにいた時にPeets coffeeというアメリカのコーヒーチェーンに刺激を受けて、同じようなコーヒーのお店を作りたいと、そして最後はまたアメリカにお店を持っていきたいと熱を交えて話しをされていて、なんかすごい素敵だなーと思いました。

お店は湘南にあるみたいなので、わざわざ出張してきてポップアップストアをやってコーヒーの宣伝をしているみたいな形だったので結構大変そうだなーとか思っちゃったりしましたが、それでも何かやりたいことがあってそれに向けて泥臭く頑張っているのが自分の心を打ちました。

いろいろと難しく考えちゃうと何も動けなくなりそうな時がありますが、自分の中で好きなこと、やってみたいと思ったことをがむしゃらにやってみるみたいなのはけっこう大事なことなのかなーと感じています。

それと改めて思ったのは、こういうのを見ていいなーと思うのら、結局、自分で泥臭い、みたいなのをもとめているのかなーという気もしています。なんだか汗をかかずに手に入るものって簡単に消えそうな気がしていて、そして、若いうちに汗をかかずに稼げことに味をしめてしまうと、いざという時の馬力がなくなってしまうなーと。この時期は泥臭くやりたいことをやっていくと、そういう時期にしたいかなーと思いました。

まとめ

自分の場合はまだ器が空いている状態で、何かが入り込んでくるのを待っているような状態だけれども、泥臭くやりたいことを必死にやってみるような経験が出来ればいいなと改めて感じました。

きっとこのままで大丈夫かなって思う時もあると思いますが、埋めたいものが入ってくるまで焦らずに待ってみたいと思います!

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