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夏休みの読書感想文について考えてみる

noteの皆様におかれましてはたぶんラクショーだったと存じますがw

Youtubeのネタにしようかなと思いつつ昨日結局とらなかったので、レジュメがてらちょっと書いてみようかなと。


本来読書はジャンルを問わない?

宇佐兎三は、ミヒャエルエンデの「果てしない物語」を2回、夏目漱石の「こころ」を2回感想文に書いた気がする。「こころ」の1回目は確か課題だった。
担任とか国語担当変わったら、別にそれでよくないか?と当時は思いつつズルかな?ってちょっと思う部分もあったれど、今にして思ってみても月日が変われば成長に応じて感じ方も変わるので、やっぱり同じ本で感想かいてもいいよね。

とはいえ、特に中高生のころは本自体はかなり読んでたけど。
鍵を忘れて家の隣の図書館で時間つぶしっだったから、本を読むのが好きってほどじゃなかったし、家に持って帰ってまで読みたくないし、章ごとに読んであんまりモヤモヤしないもので、物語のあるものは読んでなかった。
とはいえ、なんとなくストーリーのないものは感想文向きじゃないと思っていたのと、厨二病も手伝ってそのころよく流し読みしてた哲学の本とかは、中高生の世の中のわかってなさも込みで自分の世界の話とは到底思えなかったし理解のほどもそこそこにただただ「へぇぇぇぇ」という感想しかなかったし、ヘーゲルがーっとかカントがーって書いてもなぁと。(書けるほど理解してなかったし、だからといって弁証法ってたぶんこういうことだと思ったんだけど正しい?と先生問う文章を書くのは中学生ながらにさすがに意地悪すぎると思った)

そんなこんなで、読書量はたぶん足りてたけど、小説は読みたいと思えなかったからチョンボしてた。

読書感想文の中には、本を読ませたいという意図"も"見え隠れするし、学生時代に本をたくさん読んでおいてよかったなという意味で、読書はした方がいい。
けれども、読む本自体は必ずしも読書感想文が書きやすい/ふさわしげな「感動ができる本」じゃなくてもいいでしょって今でも思ってる。

小学生くらいなら本の入り口としては、それこそ攻略本読みながらゲームを進めるとかもそれでも良いんじゃない?自発的に文章を理解して自分ではわからなかった部分や、気づかなかったゲーム内の仕掛けを知って、攻略していくんだから完全に知識を得る手段としての本の入り口だと思ってて。

そして、攻略本を読むにしろ、小説を読むにしろ、漫画を読むにしろ、映画をみるにしろ正確にその言語を把握して、登場人物の気持ちだったり、相手の書いた時の気持ちだったりとか意図を理解して、学生のうちに理解できる力をつけることはその先の人生でコスパ・タイパすら良くなるよねって思っている。

蛇足的に、中高生のころが目の前にあるからっていう理由だけで一番わけわからん本読んでたから、そのころ読んでた内容ってたぶん文章としては理解してても本当の意味ではあんま理解してなかったしさっぱり覚えてないけど、今読んでる本って平易でわかりやすいなと思えるのもちょっとあるからわかんなくても「今は理解できない難しいと思う本」を読む経験を積むことはたぶん無駄じゃないと思う。

Amazonレビューみてるとその平易な本にも書かれてる”難しすぎる”って話、、、本が難しいのではなく普通にその人の読書量が足りてないと思う。ドリルなんかはきっちり理解するまで1冊を繰り返しやった方がいいっていう先生もいたけれど、本の場合は違うと思ってて、分かってもわからなくても、とりあえず量を読んだ方が良くて、同じことについて別の作家が書いた本を何冊も読んでるとそれぞれの切り口の違いで書いてある範囲がちょっとづつ広がって、1冊目ではよくわからなかった内容がちゃんとわかるようになるなんてこともあるので。

大人が求めるような感想文は

国語全般、実はそうなんだけれども。
そもそも、高校の現代文が伸びづらいなんて話があって。で、高校時代の宇佐兎三は暗記偏重の高校に入ってしまったら、暗記が苦手すぎて全てを投げ気味だったけど、現代文だけは全国模試の順位がいつも二桁だったので、それなりに得意だったと言って良いと思うのけれども、アレってコツがあって、答えは冊子に全部かいてあるけど文章の方をまともに読んじゃダメで。先に読んで理解すべきは問題文の方。

高校受験のレベルまでは内容的にも良い文章が多いし面白かったから両方理解した方がいいけど。
大学受験レベルになると理解させる気のないような悪文のオンパレードだった。そもそも「問題に対する答え」はわかっても、ガチの悪文だった場合に文章の全体の意味なんてあの時間内であの断片的な内容じゃよくわからない。
時間潰しとはいえ図書館のジャンルいくつか制覇してて自分の読書量は少ないと思ってなかったから、他の人もこれを理解してるとは到底思えなかった。

そして出題者の意図を考えて、出題者の欲しい答えを探す

国語以外の教科もそうだろうけれども、現代文の「問題を解く」っていう話なら中学生でも高校生でもこれしかないんだよね。
文章書いてる作家の意図なんて実はそれほど関係ないという罠。
三択に至っては出題者がどうひっかけようとしてるかを考える。

で、国語って教科自体がそういう教科なので、感想文も出題者である先生が意図するような文章を書くと先生が高い評価をくれます(笑)

なので徹底攻略するなら、

1.先生の普段の話から先生が好きそうな本を選んで
2.先生の言動からどんなシーンに感動したら先生が喜ぶか考えて
3.制限字数ぴったり書く

その際には

主人公が何をしたシーンについて、自分はどう思って、どう心を動かされて、自分の今後にどう活かそうと思ったのか

こんなのが書ければ大きな花丸がつくんじゃないでしょうか。

身も蓋もないけどね。

が、個人的には小学生なら好きに書けばいいと思ってるし、読んだ本がつまらなかったのなら、何がどうつまらなかったのか、そしてこれを読んだことがどんなに自分の時間を無駄したのか徹底的に書けばいいと思ってる。
「つまらなかった系感想文」もきっちり内容を踏まえて書けば、ウケる先生にはめちゃくちゃウケるけど、そういうのが嫌いな先生もいる。
でも、そういうの嫌いな先生でも推薦図書的なお題が決まってる感想文で、好みに合わなかったら仕方ないよねw

ネット上に好きで書くという前提ならおそらく「つまらなかった」感想は書かないで済むなら書かない方がいらないアンチは呼び込まないけど、宿題で絶対に書かないといけないならそれもいたしかたなし。

ただどちらにしてものポイントは、意図を読み取るべき対象が違うだけで、本の意図だけを読み解くのか、それとも本だけでなく先生の意図まで読み解くのかだけれども、どちらにしても「誰かの意図はくまなきゃいけない」それは確かで。

良くない感想文、良い感想文

感想文を「あらすじで埋めるのは良くない」は昔から言われててまぁそうだろうなと思っていて。

本における主人公が登場人物であったり筆者であるならば、あくまでも感想文における主人公は自分であって、どこまで行っても「自分はどう思ったのか」だったりするので。感想文においては、その主人公を自分以外にしてはいけない。

何かしたのが本の中の主人公なのか、それとも自分なのかという違いだけで、実は良い文章の構成って割と「何をどうして、それで何を思って、今後どうしようと思ったのか」であって、その書き方や内容が違うだけだと思ってるんだけどね。
どう思ったのかの表現方法は上手い作家であればあるほどに、必ずしも直接的には書かないこともあるかもしれないけれど。

うまくかけなくても書くこと自体にも意義がある

学生時代に、塾で国語の講師をやっていたときに200〜400文字程度で「あなたは何を思ったか」という問題がどうしてもできないという生徒がいた。選択問題とか指示語問題は特に問題なくできていたのだけれども。
自分の体感として、大人から見てどんなに低俗だとしてもスマホとかでテキストのやり取りをしている子の方がちょっと教えたら日頃から書いて友達に送っている分のこの手の問題では飲み込みが早いっていう傾向があって。

その子には他のことを圧迫しない程度に毎日10分程度で書ける範囲でいいから、日記をつけることを勧めたけれども、そこにばっかり時間使うのはどうかなと思いつつもnoteであったりとかブログを書くのもいいんだろうなって思っていて。

感想文を通して一応は文章を書くって経験が多少なりともあった方がいいと思うし、なんなら本も読んだ方がいいよね。

最近は文字は読めるけど、文章が読めない人が増えてるっていうから、まぁちゃんとやった方がいいよねとは思ってるし、できれば夏休み以外でも大人でも月1冊でもいいから読んでその本についての感想書いてみたらいいと思う。

誰にも見せない文章を書くことに価値を見出せない?

ならnoteでもいいじゃない。


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