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2003年ジャパンオープンパワーリフティング選手権 82.5㎏級 試合日記

MBCPOWER所属 宇佐美清孝です。

昔のHPで試合日記をアップしてました。今回も昔のHPからの復刻版(14年ぐらい前に作成)です。
17年前の試合ですから現在とはルールが違う部分が多々あることを考慮して本文終了後に解説文を追記しました。
では本文スタートです。

2003年 ジャパンオープンパワーリフティング選手権82.5㎏級 試合日記

2002年12月に行われた旧MBCPOWERでのプッシュプル大会(未公認大会)はデッドリフトの新たなる可能性を見いだす大会となり、自信のついた私は3ヶ月後に地元愛知県で開催される2003年のジャパンオープンパワーリフティング選手権の出場を決心しました。①

前回の旧MBCPOWERプッシュプル大会は急遽出場することが決まり調整期間が短いためにやむを得ず第1試技の予定重量まで練習して旧MBCPOWERプッシュプル大会に挑みました。意外に調子が良くて即席ピーキング練習が私には合ってるように感じたので今回も同様のピーキング練習内容で第1試技予定重量まで練習して試合ではその日の調子で第2試技・第3試技の重量選択する方法を試みた初の公式試合です。スクワットの練習は212.5㎏、ベンチプレスは160㎏、デッドリフトは265㎏各種目を1回挙げて試合に挑みました。②

スクワットは予定通り第1試技を212.5㎏にしました。練習では重かった重量でしたが試合になると軽く立ち上がって成功。
第2試技は222.5㎏を申請。1999年の第三回オールジャパンノーギアパワーリフティング選手権より2.5㎏アップの自己ベスト狙いでこの試技も白3つで成功。
第3試技は230㎏に挑戦!
かなり重かったが成功!
3試技とも肩幅よりやや狭めのスタンスでのスクワットでしたがバウンドが上手く使えてスクワットが出来ましたが第3試技終了後、首が攣ってしまいヒヤリしましたが10分ぐらいで痛みもなくなりました。③

ベンチプレスは第1試技を160㎏に申請。スクワットは練習で調子が悪くても試合では軽く挙がるので重量を飛ばしていきましたがベンチプレスはスクワットよりも練習で調子が悪く、試合でもズバッと挙がる感じではなくジワジワ挙がっていく感じでした。いつも私の試技は粘ってばかりいるイメージがあると思いますがノーギアベンチプレスに限っては結構スピードのある挙げ方をすると自分では思っています。
第2試技は165㎏・第3試技は170㎏と5㎏ずつアップして手堅く3試技全て成功でベンチプレスは170キロ終了。④

旧MBCPOWERプッシュプルではベンチプレス止めなしで180㎏挙げましたが試合当日の体重の激減+止めあり+調子の悪さを考慮して控えめな挑戦をしました。⑤

デッドリフトは第1試技は当時の82.5㎏級ノーギアの日本記録260㎏(私が1998年の第二回オールジャパンノーギアパワーリフティング選手権で樹立した記録)を5㎏上回る265㎏に挑戦して軽く成功。第2試技は280㎏に挑戦し予定通り成功、第3試技はいよいよ当時の82.5㎏級のフルギアのデッドリフト日本記録290.5㎏を2㎏上回る292.5㎏に挑戦。膝のロックする時に少し時間がかかった感じがしましたが引き切って成功。⑥
9本成功のパーフェクト試技でした。欲張りすぎず自分の出来るギリギリの重量を見極める能力が上がったことを実感できた試合でした。
このあと特別試技で300㎏に挑戦しましたが、残念ながらバーが浮きもせずに失敗しました。⑦
試合の結果はS230㎏ B170㎏ D292.5㎏ T692.5㎏で優勝と82.5㎏級デッドリフト(フルギア・ノーギア両方)の日本記録と82.5㎏級のノーギアのトータル日本記録の樹立、そしてベストリフターを獲得しました。⑦

この試合は2面で進行しており私ははB面で試技していましたが、A面では125㎏級のI選手がトータル810㎏、そして125㎏超級のM選手が全階級での最高記録となるデッドリフト332.5㎏成功しました。300㎏超えの試技連発のA面は盛り上がっていました。自分がノーギアでフルギアのデッドリフトの日本記録を破っても、もうひとつ盛り上がらなかったのは見ていた人がA面のほうに釘付けになっていたからでした。
「やっぱり絶対重量だよな!」
「パワーに詳しい玄人の人ならフォーミュラで高い数字を出してベストリフターに選ばれたことを感心してくれるけどね!」
この時、自分はまだまだ未熟だと思い知らされました。⑧

本文終了




追記

①オールジャパンノーギアパワーリフティング選手権とジャパンオープンパワーリフティング選手権という大会名は今のジャパンクラシックパワーリフティング選手権のことです。

②この試合の日記は前回の話の続きになっています。前回は旧MBCPOWERジム内でのプッシュプル記録会に参加してデッドリフトの記録が20㎏伸びた話でした。プッシュプルは急遽参加を決めたのでピーキング練習が1回しかできず付け焼き刃で挑んだのですが逆に幸いして練習で出来なければ試合では絶対出来ない!という考えに縛られることなく身体の負担もかけない方法は過去のピーキング練習とは違う考えに移行していきました。あと体重激減の影響で今回の練習はスクワット&ベンチプレスの調子がかなり悪かったです。ただデッドリフトだけは体重に影響されにくいからか良い感じでピーキング練習出来ました。
ノーギア全日本大会は1999年の第三回オールジャパンノーギアパワーリフティング選手権以来4年ぶりの出場でした。この大会の次のノーギア全日本出場は14年後の2017年のジャパンクラシックパワーリフティング選手権でした。これだけ長い期間空いてしまうのはあの頃の私はフルギアパワーリフティングメインだったのでノーギアパワーリフティングの出場に積極的ではなく気が向いたら出場する程度でした。 ちなみに当時はノーギアパワーの試合でニースリーブの使用は認められていませんでした。スクワットはニースリーブ無しの記録です。

③スクワット第三試技で首が攣ったのは当時の私のスクワットはボトムからの切り返しまで目線は正面、切り返し後は目線を下にする挙げ方で今思い出すとあまり良い挙げ方ではなかったです。まだスクワットのフォームに迷いがあり試行錯誤中でした。
首が攣ったのに僅か10分で治るとはたいした痛みではないようです。(実は首が攣った記憶がないです)
スタンスを狭めにしたのは広いスタンスではボトムからの切り返しで全く力が入らず逆にスタンスを狭くすればボトムの切り返しが楽でした。云わば苦肉の策でした。この頃は腹圧がうまく使えていなかったです。


④ベンチプレスはベンチシャツの使いこなしが下手でいつも粘ってしまう試技をするから、このような文章を書いたようです。
ノーギアベンチプレスに限って言わせてもらうと当時は粘ったりしなかったはずで少なくとも2005年のノーギアベンチプレス大会までは粘る試技は少なかったです。
ノーギアベンチプレスの速く挙げる能力が落ちてきたのは30代後半からです。

⑤検量体重が80㎏をきっていました。確か旧MBCPOWERプッシュプル記録会では85㎏ぐらいあったはずだから約3ヶ月で5㎏以上落ちてしまった。激減した原因は当時勤めていた会社がキャンペーン期間中で忙しかった事と地元開催だから試合前日に休み申請せずに夜勤明けで一睡もせず試合に挑んだのが体重激減の原因でしょうか。若い頃だから無茶出来たけど今は無理です。

⑥デッドリフトは旧MBCPOWERプッシュプル記録会で290㎏成功していて2.5㎏アップなら確実に成功できる自信はありましたが膝のロックでかなり手こずったから当時の力ではギリギリの重量でした。

⑦現在はノーギアとフルギアの日本記録は分離されていてノーギアでフルギアの日本記録を上回ってもノーギア日本記録のみ更新されるが当時はノーギアの日本記録がフルギアの日本記録を上回れば両方更新されました。

⑧当時はフォーミュラ係数でベストリフターを決めていました。(ウィルクスとの違いがよくわかりませんが・・・)読み返すと妬みありありで若気のいたりからか文章がギラギラして恥ずかしいです😅

※この大会の写真がないから2009年の大会の写真を代用しています。

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