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踊るカーテン

アレとコレは、このバタバタを乗り切ったあとに手をつけても間に合うから大丈夫、と自分を励まし、このバタバタを乗り切ったら、アレもコレもやりたいよね、と自分を慰めつつ、バタバタを乗り切って迎えた今日。

どういうわけか、今日になったらアレもコレもみんな、どこかに行ってしまったようだ。

いつもよりも長く眠って、体の疲れも取れたはずなのに、何かをやるエンジンがかからない。
すっぴんで部屋着でいるから、エンジンがかからないのでは?という仮説のもと、メイクをして、髪の毛を整えて、服を着替えて、お昼ごはんを買いにいった。

部屋に戻って買ってきたお弁当を食べる。
食べ終える。
待っていてもエンジンはかからない。
そうして今の時間になった。

結局なにをやっていたかというと、ソファに寝転んで、カーテンが風で躍るのを眺めていたのであった。

子どものころは、こうやって長い長い時間、カーテンが風で踊るのを眺めていたし、ときには、踊るカーテンの中に入ってみたりもしながら、過ごしていた。

思えば、子どもの頃の休日の午後なんて、部屋の中のものを眺めるだけで何時間も過ごしていたものだった。机の上のオルゴールだったり、本棚の本を読むでもなく、背表紙をただ眺めていた。

何も制約がなければ、ほとんどの時間をぼーっとするだけで過ごしているのが私の本性なのだ、きっと。

そうやって過ごしていた子どもの頃、特別な幸福感を抱いていたかはわからないけれど、不幸でもなかった気がする。


そんなことを思っていると、頭の中でもう一人のうさみみがこう言った。
「ねえねえ、いいの?せっかくできた時間にそんなにぼーっとして。
そもそもはさあ、ゴールデンウィーク明けに、エンジンがかからなかったら、後半バタバタしたんでしょ?また同じことを繰り返すつもり?」

それを聞いたこっちのうさみみは、こう言うのだ。
「いいの、いいの。今日、私がアレとコレをやらなかったとしても、地球が滅びたりはしないんだから」

そしてこうも言う。
「なんだか、正気に戻った気がしているんだよね」

もう一人のうさみみは、あきれたような顔をして、こっちを見ていたけど、何も言わなかった。


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