見出し画像

我が家に現れた小さな侵入者の話

金曜の朝、テレビを観ながらコーヒーを飲んでいるとき、何か漠然とした気配を感じた。
ソファの下やカーテンの周りを見ても何もいない。
こういうときは、ゴキブリに遭遇することが多い。
もちろん、歓迎などしていないし、感じなかったことに、なかったことにしようと自らに言い聞かせるも、たいていは、後に現実をつきつけられることとなる。

今回は、やはり、気のせいか。
前の家では約3年の生活の中で、4回ほどゴキブリに遭遇するハメになった。
念入りに掃除をしようとも、ゴミをマメに捨てようとも、アロマで対策をしようとも、無駄だった。建物が古かったことと、フロアのゴミ捨て場から近い部屋だったことなどが原因だと自分を慰めている。
今の部屋に引っ越してから、半年以上が経つが今のところ遭遇していない。

私が感じた気配はなんだったのか、と思い巡らせたり、いやいや気のせいだったのだ、と言い聞かせたりしながら、1日が過ぎた。
夜になって、やはり、気配がするような気がするも、姿がない。

気のせいだったのだ、と結論づけて寝た。


遅めに起きた土曜日の朝。
朝食兼昼食を食べて、だらだらとスマホでSNSを見ているうちに、睡魔に襲われ、再び寝室へ。

すっきりと、起きて、リビングに行ったとき
「ああ、やっぱり」と。
「我々以外の生き物がこの部屋にいる!」と私は「確信」したのだ。

夫が観ているテレビの前を横切り、窓際へ一直線。
迷いなく、束ねたカーテンを持ち上げると、
「いた!」
「なんだよ?」と夫。
「ネズミ」
「えええ!!!」

私にも動物的カンが働くのだろうか。他の生命体が同じ空間にいると、気配を察知する。

「なんでわかったの?お前一直線に向かっていったよね?」と夫。
と、言われても、うまく説明が出来ない。


とにかく、ネズミにはベランダから去っていただこう、ということになった。

そのためには、室内の奥に逃げ込まないように、バリケードをつくりたい。ダンボールもなにもなかったので、思いついたのが紙袋だ。大きめなものをいくつか広げた状態で立てかけて、壁を作り、窓を開けて準備した。

いざ!

ネズミを驚かせてみる。
すると、ネズミはせっかく用意したバリケードを華麗にスルーして、ソファの下に逃げ込んだ。
あーあ、作戦失敗。

まずは、ソファの下から出てきてもらわないといけない。
掃除用具の棒で刺激をすると、一気に冷蔵庫へ向かって走っていった。

冷蔵庫をどかしても、後ろにも下にもどこにもいない。

私は、住まいのスタッフに助けをお願いしに行った。

待っている間に夫が、冷蔵庫の下からほそーい枝のようなものが見えているのを発見していた。ネズミの尻尾だ。こんなわずかな隙間にひそんでいるのか、それとも冷蔵庫を動かしている間につぶしてしまったのか。

男性2人がかりで冷蔵庫を持ち上げると、チューチューと、いかにもにネズミっぽい泣き声がした。

生きている。


四苦八苦しながら冷蔵庫をぐっと持ち上げたすきに、猛スピードで逃げ去るネズミ。キッチンのカウンターの下のわずかな隙間に入り込んでしまった。
引き出しに入っていってしまうよりはマシだけれども、どう、刺激しようが脅そうが出てこない。

諦めて、スタッフは帰っていった。



ネズミが自発的に出てくるまで、我々はただ、ネズミと同居するのか、
何か対策があるのか、夫と話し合った結果、ネズミとりを設置してみよう、ということになった。

ここで、どちらが
ネズミを見張りながら待つか
ネズミ用の罠を買いにいくか
を決めなければならない。
2人揃って買いに出て、その間にネズミが移動しようものならば、仕掛けた罠は役立たずになってしまうのだ。

迷いなく待つ方を選んだ私に、夫が驚いていた。
「そうか、お前はネズミは平気なんだな」と
これがもし、ゴキブリだったら、私は絶対に、泣いてすがってでも、買いに行く方を選んだはずだからだ。

ゴキブリに遭遇するのは、たいてい夫が不在のときだった。
私は、自分で退治することも出来ずに、巧みにゴキブリと距離を置きつつ、何時間も見張り続け、夫が帰ってくるまで粘ったり。勇気を出して、殺虫剤を噴射したものの、亡骸は放置したまま夫が帰ってくるまで待ち続ける、という始末だったのだ。


思えば、どうしてネズミは大丈夫なんだろう。


ネズミと言えば、フレデリックかもしれないし、
ライオンを助けた賢いネズミかもしれないし、
ドリトル先生にアドバイスをしたネズミかもしれない。
それより何より、世界一有名なネズミもいるし、、、
というふうに物語やキャラクターで印象づけられたネズミは、小さくても、賢くて、愛らしい存在として、イメージづいている。


目を離さずに見張りを続けたが、気配を感じなかった。
もしかして、秘密の通路があって、もう別の部屋にでも行ってしまったのかもしれない、とも思えた。

夫が帰ってきた。


逃げ込んだ穴らしきところの真下に、ネズミとりを仕掛けた。

ベタベタの粘着剤がついたタイプの罠だ。全長5cm程度のネズミに対して、30cm四方の板が2枚。思ったよりも大きい、もう少し小さなものはなかったのか、と夫に文句を言ってみたが、これしかなかった、とのこと。


かなり粘度が強いもので、ネズミが捕まる前に、うっかり人間がハマってしまったら面倒だ。
そんな面倒な代物を、頻繁に使うキッチンに置いておくことにも気がすすまなかったが、夫がどうしてもと言うので、そのまま置いておいた。

しばらくはネズミのことは忘れて、夕食を食べ、リビングで寛いだ。
お酒を飲み、映画を観て、夫が先に寝室に向い、私は、お風呂に入ることにした。
お風呂から出た私は、いつものようにリビングへ向かった。

そのときに、ふと、気配を感じてキッチンの方を向くと、例のネズミががっつり罠にハマっているではないか!


私は、動揺した。ネズミが、、、かわいい容姿をしていたからだ。ハムスターのような愛らしさだ。ハムスターとネズミは動物学上では近い種ですものね。

私の中にも、動物的なカン、他の生命体が同じ空間にいる気配を感じとる力は、やはりあるのだ。
ネズミの方も、隙間で辛抱強く耐え続け、夫の気配が去り、私の気配が去り、それを動物的感覚で見極め、「今だ!」とばかりに飛び出したら、真下にあった罠にハマってしまったということだ。

この罠は粘着剤がついている板、というだけで、毒餌がついているわけではない。
なんとか抜け出そうと、生きようと、べったりとくっついてしまった足を動かそうと頑張るネズミがいた。


夫に知らせに寝室に行く。
夫は「明日でいい」と言い張ったが、それでもと叩き起こして、一緒に見に行った。
そのとき、敵が2体近づいてきたのを察知したのか、小さな小さなネズミは、ありったけの声を振り絞って鳴いた。威嚇か。

「明日にしよう」と夫はその場を離れたが、私は何度も様子を見に行った。
ぐったりとしたかと思ったら、また、力をふりしぼって逃げようとしている。
もうこのネズミは、ここで力尽きるしかないのがわかってはいるのだが、本当にここで死ぬ必要があったのだろうか、などと思ってしまう。
じりじりと弱って死なせるより、毒餌で一気に逝かせてあげればよかったのかな。

人間の世界に現れるネズミは害獣でもある。病原菌を持っている可能性も高いし、電化製品をダメにしてしまう可能性もある。
退治するのが普通の流れではあるのだろうけれど、ちょっと見た目が可愛かったからか、ひょっとして、フレデリックやミッキーの仲間かもしれないと思ってしまったからか、なんとも後味が悪かった。


ゴキブリだったら、迷いなくなんだけれども。なんて、ゴキブリに失礼かしら。同じ命に対して、なんという不平等!


人間のDNAにゴキブリを嫌うようにすりこまれているらしい、と聞いたことがあるが、なるほど、と思う部分はある。かつてゴキブリは巨大な生命体で、人間も捕食されていた、だから現代でも人間はゴキブリを恐れているという説も、本当のような気がしてならない。


この顛末の、結論や教訓を探してみたけれども、見つからない。
ただ、まだあのネズミのことが頭から離れないままだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?