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大きくなったらね、の先に

「こばちゃんは大きいの?」と、スマホの画面ごしの姪に聞かれた。
私は姪に「こばちゃん」と呼ばれている。姪の流儀に従うと、子がつく名前のおばちゃんは、みんな「こばちゃん」になる。

姪はスマホが欲しくてしかたがないらしい。周りの大人たちが頻繁に使っているのを見ているわけだから、無理もない。たびたび、母親におねだりはするものの「大きくなったらね」と、言われている。

だから、スマホを持っているこばちゃんは大きいのか、確かめてみたくなったのだろう。仮にこばちゃんが大きくない人であれば、大きくない人もスマホを持っているのだし、と母に交渉してみる予知があるかもしれない、と思ったのか思わなかったのか。

私は姪の質問に
「フィジカル的にも年齢的にもだいぶ大きいのよ」
と真剣に答えたのだけれども、姪はきょとんとししていた。

子供の頃、
「大きくなったらね」の先には無限の可能性が広がっているように思えた。
大きくなったら、コーヒーが飲める。
大きくなったら、文字がいっぱいの本が読める。
大きくなったら、遠くに行ける。
大きくなったら、お父さんが飲んでいる苦いビールを好きになる。
大きくなったら、お母さんが観ているドラマの意味がわかる。

私は、すっかり大きくなったので、これらは叶えられた。
当時は、大きくなったらの世界にスマホがあることを想像してはいなかったなあ。スマホやタブレットが当たり前に身近にある時代に生まれた姪。離れたところにいる叔母とも容易に顔を見ながらおしゃべりができる世界。姪はどのように大きくなっていくのだろうか。

大きくなったら、与えてもらえるスマホを心待ちにしながら、今は、「電卓のもしもし」でなんとか自分を満足させている様子。「電卓のもしもし」が本当は電卓だっていうことには、いつ気づくのだろうか。
すでに、少しは疑っているのかもしれない。

とはいえ、姪によると、「電卓のもしもし」にも時々電話がかかってきているみたいだから、今のところは「電卓のもしもし」は電話としての機能も果たしているようだ。

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