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🇫🇮 等身大のフィンランド vol.11 アヌさんと辿る冬戦争の記録(1)

2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領は隣国ウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加入がロシアの安保を脅かすという理由で、国際法に反し、ウクライナへの軍事侵攻に踏み切りました。翌25日には、フィンランドとスウェーデンに対しても、NATO加入が軍事・政治的悪影響を及ぼすだろうと圧力をかけました。

隣国の愚かな暴君の誤った選択が、フィンランドで暮らす人々をとても不安な気持ちにさせていると聞きました。フィンランドとロシアには、第二次世界大戦中、当時のソ連がフィンランドに侵攻した冬戦争(1939年)や継続戦争(1941年 – 44年)などの歴史的な背景があります。

祖父の足跡を追いかける

アヌ・カーリナさんは、これらの戦争を体験した祖父アルヴィさんの記録を2019年12月から2020年3月にかけてSNSに公開しました。

等身大のフィンランド第11回は、アヌさんが追いかけたアルヴィさんの足跡を一緒に辿りたいと思います。

アヌさんの記録から
1939.10 - 12.1

2019.12.2
冬戦争から80年が経過しました。現在のフィンランドでは当時の記録がほとんどすべてデジタル化されているので、自宅のソファに腰かけながら時間を遡って祖父が生きた時代に繋がることができます。

私の祖父アルヴィは当時23歳。身長172cm、青い瞳と優れた運動能力をもつ木こりでした。故郷のウウクニエミの青年たちで構成される〈フィンランド第34歩兵連隊〉第2大隊第5中隊に所属していました。フィンランド第34歩兵連隊は1939年10月9日に結成されました。

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ウウクニエミは古城のオペラで有名なサヴォンリンナから東へ80km進んだ、ロシアとの国境近くにある町です。

天幕や装備品を組んではばらすを繰り返しながら、ウウクニエミから北西に350km以上離れた南東に約230km離れた、カレリア海峡にあるミュッリュヤルヴィを目指しました。記録によると、ほとんど毎晩サウナに入っていたようです。

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ミュッリュヤルヴィを地図で検索すると、フィンランド国内だけで同じ名前の町が数件ヒットしました。「湯沢」と聞いたときに、秋田県湯沢市と新潟県湯沢町のどちらを指すのかわからないのとちょっと似ています。その中からウウクニエミに最も近い、ユヴァスキュラにある町を想定して話を進めたいと思います。

 3月2日追記
カレリア地峡にミュッリュヤルヴィを見つけました。この先の話の展開から考えても、ほぼ確定して間違いありません。

11月の最終日から数えて2日目は連隊のリーダーの誕生日で、彼は仲間たちがお祝いする歌で目を覚ましました。

11月の最終日、連隊はミュッリュヤルヴィの近くまで到着し、朝のお茶を沸かしていました。朝7時、銃声が聞こえました。偵察隊が4人のソ連軍に遭遇したのです。その時彼らはまだ、国境から後退していました。

正午をまわるころ、敵は既に国境から4km前進しており、戦闘が始まりました。

その日が終わるまでに、同郷の2人が犠牲になりました。1人はラウリ・ヴェルグさん、彼は彫刻家でした。もう1人は用務員のヴェイッコ・ポッラネンさんです。

12月の最初の記録は真夜中3時に始まります。砲撃の音に恐怖を感じて逃げ出した馬を連れ戻す必要があったのでした。しかしながら、その晩は、誰も怪我することなく、何人かの男性は体を休めることができました。

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次回へ続きます。

戦争博物館の写真から
1939.12.1

Evakointia Kannaksella. Karjalankannas 1939.12.01
SA-kuva-arkisto所蔵 カレリア地方で撮影


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