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🇫🇮 等身大のフィンランド vol.11 アヌさんと辿る冬戦争の記録(13)

アヌ・カーリナさんの祖父アルヴィさんは、ソ連が宣戦布告なしでフィンランドを国境を越えて攻撃し、1939年11月30日に始まった「冬戦争」の時代を生きました。

等身大のフィンランド第11回は、アヌさんが追いかけたアルヴィさんの足跡を一緒に辿ってみたいと思います。

今回は第13話を紹介します。

前回(1939年12月12日)のお話はこちら



アヌさんの記録から
1939.12.13

12月13日、コッラー川には「平穏」が戻ります。朝のお茶が振る舞われ、その直後、再び砲撃が始まりますが、それでも食事が提供され、大きな事故を回避しています。

『冬戦争の記録』1334ページによれば、下士官のテーム・ケッテュネン伍長がかかとに怪我を負いました。また、部隊はこの日、主に内偵や指示出しなどをして過ごしたようです。

(カール・ヴォン・ハートマン司令官が率いる?)部隊で刃物で刺された伍長の命運を悩ましく思いました。一体誰が・・・? そのことをどうしたら確認できるの・・・?

出典としての『冬戦争の記録』には時間や出来事の記録が必要とされていますが、それらはすべて何かが不完全な状態です。聞こえなかったり見えづらかったりする場面の描写は、どこかからかやってきた言葉で埋められている可能性があるのです。

スヴィラハティから退却しているときの情報官パロランピの回想録です。

「パニックは、なす術なく簡単に素早く広がる病気のように見えた。もしも前もって(退出することを)警告していたならば、反対されていただろう。」

コッラーの野戦牧師、ヨルマ・ヘイスカネンは、パニックについて、嘘がよい薬になるとわかっていたほどの「恐れ」についてこのように話します。彼が最前線で行った聖体へのお祈りに関する宗教的な儀式は、兵士たちに呼び出されてのものでした。彼らは、自分たちのこころを救ってほしいと牧師に助けを求めたのでした。
一方でヘイスカネン自身は、銃を使って、パニックで兵士たちが逃げ出そうとするのを防ぎました。

ヘイスカネンはコッラーで、おそらく1939年のクリスマスの前の週に、テイッティネンとその他の兵士たちと一緒にインタビューを受けています。Yle Elävä arkisto のアカウントで映像のクリップを確認することができます。

兵士のケンッピネンが声にならない声で妻と子供にメッセージをおくっています。涙を流さずにはいられません。国立公文書館によれば、第34歩兵連隊第6中隊の兵士で、一人息子の父でもあった、ヴァイノ・ケンッピネンさんは12月16日にラウトヤルヴィで亡くなりました。

Anu kaarinaさんのInstagramを翻訳



冬戦争を聴く



アヌさんの記録に登場する、インタビューの音声をフィンランドの国営放送 yle のニュースの中から見つけました。ページの中ほどにある 「 ▶︎ Kuuntele 」をクリックすると音声が流れます。クリップの終盤に兵士たちのメッセージが続きます。ケンッピネンさんが登場するのは8分19秒です。


もう一つ注目したいのが、戦場のリアルな音です。
ヘイスカネンのインタビューが4分29秒あたりから続きますが、それよりもその少し前、3分58秒頃から流れるのは警報ではないでしょうか。また、ヘイスカネンがインタビューに答えている間、背後では砲弾の音も聞こえます。



冬戦争を観る


機会があって、冬戦争を描いた映画「ウィンター・ウォー 極寒の攻防戦」をようやく観ました。先に映像を観てしまうと、翻訳する際に先入観をもってしまうかなと思って先延ばしにしていたのです。

細部まで内容を理解しているわけじゃないし、今の心境として、爆撃などのシーンは観ているのが辛くて早送りした部分もあったので、最後まで観たとは言えないけれど、今までは写真や記録から想像することしか出来なかったアルヴィさんの暮らしを立体的に描けるようになりました。

今日の記録に登場する、兵士たちが神に救いを求めた場面についても、先に映像を観ていたので戸惑うことなく翻訳することができました。

参考までにシネマトゥデイがYouTubeにあげている、予告動画のリンクを貼ります。戦闘シーンが登場します。今はそうした情報と距離をおきたい方は大丈夫になったときにクリックしてみてください。


次回に続きます。


戦争博物館の記録から
1939.12.13


1/Erp.P 8 poikia Ruokojärvellä ryhmäkuvassa
Ruokojärvi 1939.12.13【SA- kuva-arkisto】


ルオコヤルヴィで撮影された第1大隊第8チームの集合写真です。第1大隊第8チームはラドガカレリアの守備を目的に設立され、冬戦争が始まってまもなく、ラドガ湖の北側に陣をとりました。他の部隊よりも優れた装備が供給されたようです。

ルオコヤルヴィはカレリア共和国にあった、林業従事者の集落だったようです。


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