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🇫🇮 等身大のフィンランド

不思議な流れに身を任せるようにしてフィンランドを旅行してから、あっという間に8年が経ちました。その間、毎年コツコツ通ったおかげで現地に知り合いが増え、地方の島や町に足を運ぶうちにフィンランド語の響きに惹かれ、言葉を勉強し始めると、今度はSNSを通じて新たな出会いに数多く恵まれました。

今回、わたしが新たにスタートさせる「等身大のフィンランド」では、フィンランドで暮らす人々の日常を観察しながら、その様子を日本語とフィンランド語にまとめることに挑戦します。第1回は、この連載を始めようと思ったきっかけを、2つのトピックスを通じてご紹介します。

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家族から受け継ぐ物語


ある年のクリスマスを、私はフィンランド南東部のコウヴォラという町に暮らす友人とそのご家族と過ごしました。

高齢者用の集合住宅に一人で暮らす友人の母親・カイヤさんにお招きいただき、みんなでフィンランドのティータイム、カハヴィタウコ を楽しんでいたときのこと。カイヤさんが1冊のゲストブックを取り出しました。許可を得て拝見させていただくと、家族のクリスマスの思い出が記録されていました。60年ほど前に母親から受け継いだのだそうです。

カイヤさん:
「 私の母は毎年、クリスマスの思い出を小さな紙に書き留めました。天気がどうだったか、どんな食事をしたか、贈り物は何か、それらのことを紙に綴って箱にしまい、クリスマスが来るたびに読み返しては思い出を育てました。」

フィンランド語で「平和」を意味する名前を授かったラウハさんの人生は、30代半ばまで戦火とともにありました。

ロシア革命直後に独立したフィンランドは、第2次世界大戦中に旧ソ連との2度の戦争を行い、領土の10分の1を失いました。さらに戦時中、旧ソ連の侵攻を恐れ、ナチス・ドイツ側の協力を得たことで、フィンランドは戦後、敗戦国として多額の賠償金を支払うことなり、多くの人々にとって、苦しく、貧しく、困難な時間が長く続きました。

1944年、このノートは誰かからラウハさんへの贈り物だったようです


このゲストブックからも、当時の様子を想像することができます。

実はこのノートの最初のページには「 Rauhalle Jouluksi 1944 」とメッセージが書かれてあります。おそらくラウハさんは、このノートを戦時中にクリスマスのプレゼントとして誰かから贈られたのでしょう。

ところが、次のページから綴られるクリスマスの日記は、どれも1960年以降の日付です。

この頃には、フィンランドでは北欧型福祉国家の建設が加速し、国内の経済状況が安定し始めたそうですので、ラウハさん・カイヤさん親子はようやく、肩の力を抜いてクリスマスを楽しむ心の余裕ができたのかもしれません。

クリスマスツリーを自宅に飾り始めたのもちょうどこの時期だそうです。楽しくあたたかなクリスマスの瞬間を切りとりながら、ラウハさんはどんなことを考えていたのでしょう。

年季の入った段ボールにはツリー飾りがたくさん


クリスマスツリー飾りは現在、ラウハさんの孫・マルヨさんに受け継がれました。

マルヨさん:
「古い飾りは繊細で壊れやすいのですが、わずかに手元に残っています。新しい飾りを少しずつ増やしながら、私はこれからも家族の思い出を育てていきます。年季の入ったこの箱も、私にとって祖父母を思い出す宝物です。」


普段着の日常で
紡がれる物語


私は普段着の日常に静かに息づく物語にも魅力を感じます。

あるとき、友人の一人が昨年産まれた孫娘を寝かしつける写真と一緒に、フィンランドの子守歌の一節を紹介してくれました。

フィンランドの子守歌、他にはどんなものがあるのかな。世代や地域によって違いがあるのかな。興味がわいて、SNSで交流があるフィンランドの女性たちにも子守歌の思い出を伺うことにしました。

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その回答がこちらです。

おそらくは、日本の〈 ねんねんころりよ 〉的な定番ソングが、多くの方が挙げている 〈 Tuu, tuu, tupakkirulla 〉  や 〈 Nuku Nuku Nurmilintu 〉 なのでしょう。

・・・ このとき、アンケートを回収する過程で私は、心のどこかで多様な保育の形が存在するフィンランドを象徴する答えが集まることを期待していた自分に気が付きました。

例えば、フィンランドでは父親も積極的に育児に参加するといわれますが、このアンケートには父親が子守歌を歌って聴かせてくれたというエピソードは一つも寄せられませんでした。

また、先に紹介した友人は、母親は会社と家の往復でほとんど育児に参加できず、プイストタティと呼ばれる、子育てをサポートしてくれる女性から子守歌を歌ってもらったのだと話してくれました。

たとえひとり親世帯になってしまっても、フィンランドだったら、余裕をもって子育てに専念できるような環境が整うはず、と私は勝手に思い込んでいたので正直驚きました。と同時に、これこそが、フィンランドを主語にして伝えられるニュースに触れたときに心のどこかで感じていたもやもやの正体、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)だったのかもしれない、とも思いました。


等身大のフィンランドの物語


フィンランドで暮らしているからといって、誰しもが、十分な産休・育休を取得して、誰しもが余裕をもって子育てに専念できているわけではないのです。アンケートに集まった十人十色の回答は等身大の暮らしを映し出し、「フィンランド」を主語にして物語を読み進めようとした私に、一人一人の物語に目をむけることを教えてくれました。
そして、ネウボラ、プイストタティに代表されるような、フィンランドならではの多様な保育のかたちにも少なからず関心はありますが、私が大切にしたいのは、一般的には広く知られていなかったり、分かりやすさを追求する過程で淘汰されてしまったりするモノ・コトだったりすることにも気が付きました。

日常は小さな選択の積み重ねです。フィンランドが幸せな国として、男女平等が進む国として注目を集めている背景には、私たちが選ばなかった、選べなかった選択肢を手放さず、目を背けずに向き合い、選び続けた結果ではないかと現地で知り合った友人たちの振る舞いから感じることがあります。誰かがどうにかしてくれたわけではなく、今この瞬間もどこかで誰かが理不尽に対して声をあげているのだと思います。

「フィンランド」を主語にして語られる物語のほうが圧倒的にわかりやすくて、需要もあるのかもしれませんが、私は生活者を主語にして語られる、等身大のフィンランドの物語に惹かれます。幸せじゃないときだってあるし、時には気持ちがふさぎ込んだり、自他を大切にできない瞬間もあるけれど、それでも豊かで幸せにフィンランドで暮らす、生活者の人生の一部分を描くことができたらと長い間考えていました。

SNSで彼らの日常がにじみ出るような投稿に出会うとわくわくします。夏と冬では極端な気候や自然と共存しながら、逞しく、伝統や文化を誇りに思いながらしなやかに、心豊かに暮らす生活者の声に耳を傾けることで、フィンランドへの理解が深まり関心が広がっていくのを実感します。

「等身大のフィンランド」プロジェクトでは、今あるものに目を向けながら、ときには時代を遡って、物語を紡ぐ様々な場面を皆さんと共有したいと思います。不定期連載となりますが、一緒にページをめくっていただけたら、とっても嬉しく心強いです。


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