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答えのない問いへ


質問箱に朝からクソ長お気持ち回答をしてしまいました。
これこのまま記事にできるだろ、と思ったのでほぼ原文ママで転載します。



自分の経験則&感情論で言うと「ヤンキー全部ぶっ殺せ」なんですけど、まぁそんな事しても意味ないのはさすがに20代前半で気付きまして(苦笑)。

正直、いじめを無くすのは不可能だと思います。
そこに人間という生き物がいる限り、価値観の合わない他者や自分より弱い個体にそういう気持ちを持つことは動物として自然なのも悲しい事実で。

どちらかと言うと自分は被害者ムーヴしてきた人生でしたが、
「自分が今まで生きてきたなかで加害者サイドに100%加担したことがないと言い切れるか」と言われると答えに窮します。
その(加害者意識として)当事者目線を常に他者との関わりで持つことが重要になってくるのかも知れません。

「自分という存在がある限り誰かを傷つけているかも知れない」という認識が大事なんだと思います。


リアル路線で考えると、無くなることはない(と自分が考えている)いじめというロシアンルーレットの被害者サイドになるというくじを引いてしまった時、「どれだけ他に依存先があるか」だとも思いますね。

その場に留まって壊れる前に、自分の心を取り戻す先(家族でもフリースクールでもエンタメでも)へ逃げるという対処でそのコミュニティ構造から脱出するのが平和的なのかもと。
まぁその体制が常に存在すれば良いんですけど家庭が機能してない場合も多々あったりしてしんどいですよね。

そういう意味で自分の感情論を言うと「田舎」は余りにも資源が少なすぎるので百害あって一利なしだと思っています。


学校という組織がマンパワー的にも構造的にも問題解決に向いてなさすぎるので、対抗としてはもう今の世は大SNS時代「どんどん晒していく」しかないのかもと。今まで隠蔽されてきたものが露わになることで一気に立場が逆転することも現実多いので。

また、暴力的な実害を受けているパターンだとしたら、
警察組織が機能しているという願いを前提で言うと、学校通り越して速攻警察に乗り込むのも手じゃないかとは。
ただ義務教育とかでスクールポリスが居ればいいのに、とは思いつつ実現したらしたで変な癒着の問題が出てくるんだろうな、とは思いますが。

そもそも、「いじめ」というライトな表現を国主導で下ろすのがまず良くないと思うので「暴行」「傷害」「恐喝」とかに変えてしまえばいいのにとも思います。自分の行いが刑法に抵触しているんだという考えを幼い義務教育のうちから身に着けてほしいなと。
「消えない心の傷がついちゃうんだよ」的な道徳授業みたいなしょーもないのより「いやそんなんやったら捕まって少年院か刑務所だからな」という指導にしちゃえ派です。

まぁ、実際問題逃げ場がガチでなかったり(特に子どものうちは)、ないと思い込んでしまう精神状況になってしまうのがいじめでもあって。
会社に属している大人でも経済状況であったり、養う家族の存在があると逃げるに逃げれないという環境になってしまうのも事実で。全員がサバイブできる100%の正解は自分にも分かりません。

それでも、「生きてさえいれば何かしらの救い・報いはある」と自分は信じているので(宗教的な意味ではなく)、絶対に自分で命を絶つことはしないで欲しいなと願っています。



皆さんはこの問題、どう答えますか?

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