2020.9.1 雑記
8月の終わり、そして9月のはじまりに。
継続通院している精神科へ今月の初診。
現況の、イライラは収まったがその起因となっているものが収束を見せたからなのか、気の緩み、能動的に物事へ取り組むことへの難しさが再発しているという旨を伝えた。
医師からは、
徐々に自ら今後について期間を決めて取り組んでもいい時期に来ている、
ただ○○しなきゃ、と焦りを感じて何もできないのは本末転倒、悪影響でしかないので
まず今はとにかく何でもいいから好きな事をして楽しみなさい、
あと運動しなさいとのことだった。
なので、とりあえずもう少し心を休めようと思う。
また、久しぶりに会いたい人にも会えたし
直近にもそこそこ人と会う予定ができた。
何だかんだ、人と話すことがかなり療法になるのかもしれない。
そして、いつぶりか分からないけど
父にガチの人生相談をした。
用件は、前記事に書いた「仕事をしていく上で自分の嫌いなものとの折り合いの付け方、また折り合いをつけるべきなのか」。
一応父は教師を30年やっており、
短くも児童福祉に関わった上での自身との悩みに何かしらの答えを貰える先輩だと思ったからだ。
大よそのニュアンスで書くが、
・仕事は大まかに生活のため稼ぐことを第一のマインドとした形、自らのやりたいこと第一へ向かう形の2つがある。どちらを選ぶか。
・仕事人としてはプロとして与えられた仕事をこなさないといけない。
・ただ、やりたいことは仕事という形だけでなくボランティアであったり、それ以外での形でも沢山ある。
・今壁にぶち当たったり、目標を見失っている状態だとしても、人生には無駄なことはないし、いずれ過去の経験が何かしら花開くかもしれない。
・生活をする上ではお金を稼がなければいけない、経験を生かしたものでもやりたいと思う仕事でも、心が落ち着いたらまた短期的にでも飛び込んでみればいい。
・その積み重ねが今後何十年か経ったあと、自分が現在心折れてしまったものに再挑戦したいと思ったり、そのきっかけになるかもしれない。
・とりあえず今まで挫折なしでストレートにやってきたんだからひとまずゆっくり休みなさい。
……こんな感じだった。
何だかんだ、同じ話題でも同世代に話を聞くのと
年長者に話を聞くのは内容が違うな、とは思った。
同い年でも坊さんやってる知人は上記にややかする事言ってたので
悟りを開いた者は強いな、とは感じた。
一つの意見として、貴重なものを聞けたし
これから自分の進むべき道への解が少しではあるが見えた気もした。
9月は、好きな事をしつつ焦らずに光明を少しでも見いだせたら、
そんな時間になったら良いなと思う。
微妙に話は変わるが、
令和のこの時代、凄惨な事件や新型コロナウイルス関連をはじめとした目を覆いたくなるような事件や出来事、
そんなニュースがどこもかしこもで溢れかえっている。
特にコロナの件に関しては、
日本だけではなく、全世界に今なお影響を及ぼしている。
罹患して亡くなられた方々、後遺症を患ってしまった方、
職を失った方、現在進行形で頭を悩ませている経営者の方…
日本だけではなく、全世界に今なお影響を及ぼしている。
今後も失業者が増え、不況の時代に至ってしまうことは間違いないだろう。
ただ、個人的には今この時こそが、特に日本社会においては
光明が見えかけの時期なのではないだろうか、と感じる。
今現在自宅療養中(の無職)ではあるが、
どの組織にも所属していない立場として世の中を俯瞰で見た時、
短期的にはお先真っ暗に見えなくもないが、
長期的に見た時、自分は今こそが歴史の転換点になると思うのだ。
今回のコロナをはじめとした社会の動きによって、
「不要不急」なものが露骨に可視化されたと私は感じる。
ここで上記について誤解されてほしくないのが、矛盾するかもしれないが、我々人間は不要不急なものこそを糧として生きている。
それらを取り除いたら人はたちまち最低限の生命活動だけを行う生き物となってしまうだろう。
何が言いたいかというと、「不要不急」なものが可視化されたことにより、何が必要か、そうでないかを自らが取捨選択できるようになったことである。
また、「不要不急」という言葉を
「同調圧力」という言葉に変えても良いかもしれない。
必ずしも会社に行かずとも働けるようなやり方が浸透してきた、
学校へ行かずとも勉強できるやり方が今まで以上に提示された、
様々な娯楽を与える側・与えられる側どちらの立場でも新しいやり方が増えた。
結果、皮肉にも昨今の出来事を契機に、様々なロールモデルが浮かびあがってきたように感じる。
「昔からそうだから」「みんなやってるから」
思考停止に陥っていたあらゆるものが半強制的に新たなフェーズを生み出した。
つまり、今は従来のやり方ができなくなった、という点が世の中を暗くしている大きな要因だと思うが、私は長期的に今後の日本を考える上で、
人々は新たな選択肢を手にした、と感じるのだ。
良い意味で、「昭和」が終わりを迎えるのだ。
そして、平成に産まれたものが令和に新たな風を吹き込む。
人々はその中で、何を取捨選択していくのか。
その結果において、ここ数年の動きが今後の何十年の時代を変えるのではないかと思う。
ここからは個人の感情論になるが、冠婚葬祭などまさにそうだ。
現在は「密」だからというのが主な未開催のファクターだが、
「やらなくても良い」「不要不急」な「時間」が可視化された今現在、新型コロナが仮に収束したとして、
またそこに人々が立ち戻るパーセンテージがどのぐらいあるのだろうか。
いわゆる「ゆとり世代」の自分としては
昭和の理不尽な価値観には甚だ疑問を感じるし、
そこに屈したくないという気持ちは持っている。
地方の過疎化にも追い風が吹いている。
コロナに感染した者に石を投げるような風土では、
若者の流出は歯止めは効かないだろう。
もはやこのパンデミック状態では誰もがリスクを背負っている。
コロナに感染してしまうのが悪なのではない。
意図的に他者へ感染させようとする事が悪であり、
感染予防対策を何も取らないのは只の考え無し、
考え無しに感染者を叩く者は人の形をしたモンスターだというだけだ。
一応自分は大学時代地域福祉を学ぶゼミに所属していたことがあったが、
正直地方創生とは真逆の思想を持っている。
明確なロジックと政策を以って街おこしを実施している地方公共団体は素直に応援したいが、
排他的なだけの田舎は高齢社会とともに構成員が望んだ結果になればいい、異を唱える者は脱出すればいいと思う。
つまり、その産業・行事・土地を本当に必要としている人々がそれを享受し、それを「不要不急」と感じる者は無理に同調しなければいい。
求められなかった文化は淘汰され、
その上で新たなモデルを産み出しやすい環境になればいい、その結果社会が良い意味で「ゆとり」のある方向へ向かって欲しいと感じる。
とにもかくにも、否が応にも時代は変わる。
偶然にもこのタイミングで歴代在任期間を塗り替えた現政権が終わろうとしている。
現政権が掲げた政策、その結果、そして今回のパンデミックの対応等、諸々思うことはあるのだが、
安倍さんには持病を抱えながら日本を支えてくれたことに関して
本当にお疲れさまでした、ゆっくりと体をお休めになって下さい、と言いたい。
個人的に、今回の首相退陣もそうだが新型コロナをはじめとする大きな出来事が起きた時、SNSやマスメディアを介した反応において
その者の本性が垣間見える気がしている。
勿論私も例外ではない。
上記の文に何いってだコイツ、と思う方も当然いるだろう。
そして、私は良くも悪くもこういった人間である。
ただ、今現在私自身が、社会全体が
今までと違う、しんどさを抱えている状況の中だからこそ、
その先にある上がり目を信じたい。
未来は決して暗くない。
いつだって、未来は味方だ。
それが私の切なる願いであり、想いである。
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