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22年目の命日

こんばんは。
 
9/6は、大好きな父の命日です。


心の整理は、少しずつして来たつもりでいました。

実際は…何も心の整理ができないまま
月日が流れています。

父が亡くなった2年後に地元を離れ
ひとり暮らしを始めた影響なのか…

地元で元気に漁師を続けているんじゃないか?

また会えるんじゃないか?

 そんな錯覚?さえ覚えてしまっている

まさか…自分自身が障害者になるなんて
想像もしていなかった。

気持ちの整理を兼ねて記録に残すので
(一部、乱暴な言葉があります。
気分を害されましたら申し訳ございません)

 2001/9/6
父は、漁に出るため夜中に家を出ました。

(その日、市外の通信制の高校に通学の為、、最寄りの駅まで送っていくと約束していました)

朝、目覚めたら帰宅予定の時間を過ぎても
父が帰って来ず。。

(当時にしては、珍しく携帯を持っていたので鳴らしても出る事がなく…)

漁師の組合関係の人から
船はあるけれど、あなたのお父さんの姿がないと。。

連絡をもらいました。

父は、船に乗り漁に出る前に杭に当たり
事故死でした。

父の遺体が家に帰ってきた時
あまりにも…

あまりにも…突然すぎて。。

受け止めれず。。

泣き狂いました。。


そんな中…

父の遺体の前で放心状態でいる私に
  



「お前が酒を飲ませて事故に見せかけて
殺したんだろ?」

「いずれ、嫁ぐあんたは よその子
よその子は早く家政婦としてでもいいから
早く嫁に行け」

「お前なんか、飯食って糞だけして
お父さんと一緒に死ねばよかったのに
生きてる価値もクソもないんだから」


悲しかった…

苦しかった…


誰1人、否定する人がいなかった。

だから……
 
その全ての暴言を私は受け入れ飲み込んだ。

だから
こんな自分は、生きている事に
申し訳なさが出てくる

人殺しなら生きてたらいけない…


気づいたら無意識に
自殺未遂をするようになった。。

様子がおかしいから。と友人のススメで
精神科にかかった。。

うつ病とPTSDがわかった。。  


だからと言って誰かのせいにして
過ごしたくはないから

誰かのせいにはしないけれど…


物のように
(まるで何も配慮も優しさもない)

扱われて来た…。
  
だから、それが当たり前だと思ってた。


けど違ったの。

当たり前じゃなく
 
本当は、もっと何を言ったら
傷つくかな

とか

1人の人として接するのが本当なんだよ


うさちょん、つらかったね。

って初めて打ち明けた友人に言われた時

我慢してた感情が入り交じって
 
わんわん泣きわめいた。


あれから22年…

姉もお星様になりました。

寂しいし悲しいけれど

私は、、過去をなつかしむ事はあっても

振り向かない。


大切な人との時間は永遠ではないから
一緒に過ごせる時間を

大切に…。

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