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小説『鬼平犯科帳』同心『木村忠吾の叔父・中山茂兵衛の奉公先』を散歩

兎忠こと、木村忠吾は祖父の代から御先手組同心でした。
勿論、小説の中の登場人物です。
寛政三年(1791年)忠吾24歳、6年前に父親が病死し、18歳で跡目を継いだのです。
母親「あさ」も既に亡くなっています。

縁者といえば、旗本・金森与左衛門(かなもりよざえもん)の用人を務める叔父・中山茂兵衛(なかやまもへい)ぐらいでした。

今回は、この木村忠吾の叔父が務める旗本・金森与左衛門の屋敷跡を訪ねてみました。
中山茂兵衛は、この金森家に仕える用人でした。
その金森家の屋敷は、麹町八丁目にあったとされています。
金森与左衛門も、中山茂兵衛も実在していたのか、実在の人物をモデルにしたのか定かではありません。

さて、旗本家の用人とは、家老、年寄、用人という三役の一つでした。
主に屋敷内の事務会計を担当し、約三百石以上の旗本家で用人を置いていました。
石高や家格により、家老をや年寄を置かない場合がありましたが、その場合は用人が家来や下男下女、門番の取締りにあたっていたのです。

ちなみに、用人の下には側用人、奥用人、騎士、給人、番頭(ばんがしら)、物頭、代官等がありました。

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