見出し画像

自分の父親が亡くなったとき備忘録②

前回の記事は下記を参照下さい。

2.亡くなってから遺体との対面まで

Drと電話をしてから姉に電話。姉を東京駅まで迎えに行く約束をしていたので、Drと電話が終わったことを伝え迎えに行くことに。病院には「今(18時半頃)から家を出て向かうので、おそらく22時頃になってしまう」という旨を伝え、看護師さんに了解をいただいた。

なお、父はもう23日のお昼から意識もなかったようだった。母親にはうまく伝わらず、最終的に僕に母から電話があったのが17時半。浜松町で働いているのだが、そこから父が入院をしている病院へはどんなに急いでも1時間以上かかってしまう。結果論だが、僕はどうやっても父の死に目にはあえなかったのだ。

心は正直穏やかではなかった。僕が住んでいるところから病院までは高速を使っても3時間弱はかかってしまう。割と良い長旅だ。その道中を安全に運転出来るか?と今言われると結構自信がない。
当時は姉も連れて行かねばらない、地元は田舎だから車がないと厳しい、そんな思いに囚われており(冷静な判断がちゃんと出来てない)、妻からも心配されたがそれを振り切って車で行った。

幸い、東京駅までは比較的すぐについたので姉をピックアップ。その時点で姉は母親と電話で話しており、病院や葬儀社の人とも話をしていたようだった。

母親と話をしてみても良くわからなかったので、直接僕(と姉)が葬儀社の人と電話で話すことに。
何を話すかというと、遺体を何時頃病院から運び出してどこの霊安室に運ぶかという内容だった。

僕の実家はわりかし田舎であったため、葬儀社については病院からなのか母からなのかは分からなかったが、JAに頼んでいた。
そう、亡くなったタイミング次第なところもあるのだろうが、基本的にいつまでも病院に置いて頂くことはなく、とっとと運び出さないといけないのである。

そこで、「病院には22時頃つくのでそれ以降の時間でも平気か?」ということと「運び先ってどこがあるの?(実質葬儀はどこでやるの?)」を電話口で話し、遺体はまずはJA系列の病院近くのところへ。葬儀は地元で。というところまでは運転しつつスピーカーで話しながら決めた。

そんなことを決めつつ、叔父(父の兄)にも連絡をしていたのだが、もう病院の最寄り駅に到着したとの連絡。
わかった、と言いつつ病院に再度電話し「父の身内(叔父)が病院にもうすぐ着く。申し訳ないですが配慮頂いても大丈夫か?」という電話と調整を渋滞に巻き込まれながら行っていた。
そういえば叔父に父が死んだこと伝えてなかったな
と思い出したあたり叔父からまた電話。

「○○が死んでるんだよ」

そうだよね、俺も驚いているよ。父は死んだんだよ。
とりあえず叔父には今向かっている旨を伝えて終話。しばし運転に集中していた。何か姉と話しはしていた思うけど、あんまり内容を覚えてない。

平日夜の下りということもあり、首都高以外は渋滞に巻き込まれることもなく、かなりスムーズに父が入院していた病院へ到着。
病院に駐車場に車をとめて外に出たところ、葬儀社の方がすでにいらっしゃって出迎えてくれた。そちらの方の案内で病院へ入り、看護師さんの案内で父の遺体と対面した。たぶん、22時は過ぎていた。

父の体に僕は触ることが出来なかった。父の死を物理的に認めてしまうから。

そして僕はこのときの父の顔を絶対に忘れることはないと思う。肺水腫で苦しんだことが本当に良くわかる顔、遺体となって最低限のエンゼルケアなんかはされている状態ではあるんだろうけど、下唇をかみしめたまま、直前まで苦しんでいたことがよくわかる状態だった。

人の生死に正しい/間違っているというものは無いけれど、少しでも苦しみから解放されれば…そう思わざる得なかった。

で!そんな中でもやることはやらねばならない。

葬儀社の人に挨拶をして、父の遺体を運び出してもらう。ハイエースに父の遺体を運び込み、姉は一緒に斎場へ。
僕は叔父を近くのホテルまで車で連れて行ってから後追いで斎場へ向かうことに。僕が斎場に着いたのは23時30分頃を過ぎていた…と思う。

斎場についたら霊安室に置かれている父のもとへ案内され、お線香をあげることが出来た。たぶん、このタイミングで何か葬儀社の人と話したような気がするがあまり覚えてない。ドライアイスとかそんな話だったか、他の誰かが来るかどうかとか、そんなレベルだった気がする。

お線香をあげたあと、僕・姉・葬儀社の人と軽く打ち合わせ。どこの斎場でやるか、明日改めて打ち合わせをしたいが何時頃がいいか、そしてその際に持ってきて欲しいものとその理由について30分程度話をしてその日は終わった。

そして僕は姉を連れて実家へ帰った。実家についたのは日付を跨いでいた。
母親に打ち合わせの日程(翌日の朝9時頃)を伝えて、とりあえず寝ることに。この日から数日は(色々な理由で)まともに寝れなかった。

そして怒濤の準備が始まった。(明日へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?