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小説『ヌシと夏生』6_地蔵

足が震えて、まっすぐに立てない。体全体が小刻みに震えて自分の意志では止められない。

券売機に突っ込んだまま、お地蔵さんの体が小刻みに揺れはじめた。刺さった頭を抜こうとしているのか?痙攣するように震えている。

「行くよ」

少女に手を引かれるまま改札を抜け、誰もいないホームに立った。ホームの上には何もなかったかのような、静かな、田舎の空が広がっている。全身から汗が噴き出した。

「今のは?」

少女の背中に隠れるように、改札の外をそっと窺うけれど何も見えない。振り向いた少女が、手をひらひらさせて、ほほ笑んだ。

「来るよ」

ボゴッボゴッボゴッ。

再び硬いものどうしがぶつかる音がする。

「ぎゃっぎゃっ……」

改札の向こうにお地蔵さんが立っていた。
何だか変な感じがする。それほど視力がいいわけではないのだが、お地蔵さんの首からぶら下がったよだれかけが、赤と緑の市松模様に見える。お祭りで会った、さっきのおばあさんの前掛けに似ているのは気のせいだろうか。

お地蔵さんの目が、夏生の目をつかんだ。恐ろしいほどの憎しみが伝わってくる。

「どうして?」

……ジュースを買って、藁山に飛び込んで、お神酒を飲んで。何か恨まれるようなことをしただろうか?
必死に直近の一時間ほどの己の行動を思い出すが、お地蔵さんの怒りを買うような何かをやらかした覚えはない。

「偶然とは言え、お祭りに参加しちゃったから」

少女が笑っている。

「よそ者は入っちゃいけなかったんだよ」

参加も何も、藁山に飛び込めと勧めたのはあのおばあさんたちじゃないか?

「だから消そうとしてる。私の存在を知られたくなかったんだと思うよ」

「そんなこと言っても、知らなかったんだ……」

「神の存在がばれると、いろいろ問題起こるでしょ?捕獲して自分のために使おうという人もいるだろうし。だからこの村では神が出歩いた後はその痕跡を村人総出で隠してるの。だけどもう皆年だしね。神と暮らすことに疲れてきてるんだよ。だから消し方も雑だし、乱暴になってきてるよね」

「そんな……。神様って頻繁に出歩くもの?」

「週一くらい?」

「うっかり出くわすと?」

「村人は良いけど。よそものはダメ」

「迷惑だ。それじゃあ疫病神じゃないか。出歩かないでくれ」

「でも、禍を起こすのは神じゃなくて村人だよ」

「災難に遭う人にとっては、どっちだって同じだろ?」

夏生の戸惑いをよそに、お地蔵さんが前につんのめるように傾いた。

来る……。

その前傾姿勢のまま、ホームの上を滑るように一直線で夏生に向かってくる。鮮明なコマ撮りの画像を見ているようだ。丸い石の頭が、ぐんぐんと近づいてくる。命が尽きようとするとき、過去が走馬灯のように浮かぶというが、あれは嘘だ。ただ、目の前の現実が普段暮らしている時の何十倍もゆっくりと進む。

ただそれだけ。

「危ない!」

夏生の口から言葉がこぼれた。
怖いとか言ってる場合じゃない。反射的に少女の前に出て両手を広げた。
腹に何かがめり込むような。違和感。

自分の体が壊れていく?自分ではない誰かが外から自分を見えているような感覚。見えてるものと体が感じているものと、音がバラバラになってる?浮いてる?息が苦しい?

真っ暗な視界に、すっと少女の横顔が浮かぶ。

「私は大丈夫なのに。でも、かばってくれてありがとう」

声が出ない……。
早く、逃げて……。

「今度は私が助けてあげたいんだけど、うろこ、もらってくれる?」

わかった。うろこでもなんでももらうから、逃げて……。声にならないので必死にうなずいて見せる、とにかく逃げて。

「良かった。これでもう、私の逆鱗の持ち主はあなただから」

微笑むと、あごの下に人差し指をそえて、首を傾げた。
ひんやりと柔らかい手の感触。
包み込むようにして、少女は両手で夏生の手を取ると、そっと自分の首へ導く。

夏生の手の甲で首の下からあごの方までなでた。
闇の中からまた黒い塊が向かってくる。

「危ない!」

声にならない悲鳴。叫ぶ夏生の前で、少女の背中がぐんと広がったように見えた。

一直線に突っ込んでくる石の塊に向かって、少女が片手をまっすぐに伸ばした次の瞬間。少女の掌は、お地蔵さんの頭をわしづかみにしていた。

「地蔵ごときが、神に勝てると思った?」

そのまま頭上高く掲げる。
少女のあらわになった肩から先、腕はきゃしゃな体とは不釣り合いに太い。鋭い巨大な爪が日の光に輝いたのが見えた。と、ホームの床にたたきつけるように振り下ろす。

砕けるっ!

夏生の周りから、一切の音が消えた。

「なんてね」

地面にぶつかりそうなところで、振り下ろす手を止めた。
気が付くとホームに転がったお地蔵さんの傍らにかがみこんだ少女はその細い腕で、石の地蔵の頭をなでていた。

「私はこの人と行くよ」

少女の言葉に小刻みに身もだえしていたお地蔵さんが、止まった。

「よいしょっ!」

掛け声とともに、少女がホームのコンクリートの床に転がったお地蔵さまを立たせようとするが、重くて持ち上がらない風だ。夏生が手を貸して、ようやく立たせることができた。さっきまでの力はどこに行ってしまったのだろう?

「ありがとう。転がったままじゃあかわいそうだったから」

夏生に頭を下げると、少女は「さようなら」と石の頭をそっと撫でた。
ホームの上には雲一つない秋空が広がっていた。

「上り電車が到着します。上り電車が到着します……」

何事もなかったかのようにアナウンスが流れ、電車が到着した。
さっき自分の体が吹き飛んだような気がしたのだがあれは何だったのだろう?自分は本当はもう死んでいるのかもしれない。これは死んだ人の魂が乗る電車か?

誰も乗客のいない客車のボックスシートで、目の前に、少女が座っている。ほかにも席は空いているのに。夏生がそこには存在していないかのように少女は、ただ窓の外を眺めている。

夏生も窓の外を眺めるふりをして、少女の顔を見ようとすると、窓に映った少女の目と合っった。さっき手で触れた少女の肌の、さらりとしたとらえどころのない感触がよみがえる。

「さっきのお地蔵さんって何なんですか?」

少女は首を夏生の方にくるりと向けると、その真っ黒な瞳でじっと見つめてくる。

「ありがとうございました……助けていただいて」

「……」

「あのお地蔵さんの前掛けを、少し前に見た気がして。すみません。秋山夏生と言います」

「知ってる」

「……お名前。伺っても良いですか?」

少女が少し考えるように首を傾げ、小さな声で「ヌシ」といった。

「ヌシって」聞き返す夏生に、「……と呼ばれていた」と少女は再び窓の外に目をやる。

刈り入れも終わって寒々とした田が広がっている。
夏生の頭の中でやっと何かがつながった。

「……さっきの神社の?」

「さっきからそう言ってるのに」

少女は、夏生の方を見て微笑むと、また窓の外を向いた。

まだしばらくは列車に揺られていなければならない。少し、原稿に赤でも入れるとしよう。

ペンを探して内ポケットに手を入れると、ハンカチにくるんだうろこが手に触れた。

いずれにしても、どこかで少女の靴を買わなければ。裸足はまずい。命を助けてもらったお礼として妥当かどうかはわからないが。スマホを取り出して乗換駅周辺の靴屋を検索する。

ついでにニュースもチェックしたが、駅が破壊されたという速報は出ていなかった。

黒地蔵
地蔵菩薩は閻魔大王の世を忍ぶ仮の姿ともいわれる。人々の暮らしを見守りながら、不正を暴く。ただ、この地の地蔵はヌシを守るために自ら動く。ヌシの痕跡を人々に知られないように、自ら手を下す。ヌシを守ることが、この地で暮らす人々を守ると考えれば理にかなっていると言えようか。

美津さんの元夫の手記より

(つづく)


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