違和感

生きている事への疑問は絶えないのだが

それを考えても答えは出ないようになっている

なぜなら 答えを見出す前に 死を迎えるからだ

なぜ生まれ なぜ生きるのか?

そこに疑問を持つことよりも

今を生きろ そういった過去の人物もいる

なぜ生きるのか?よりも

今 生きていてよかった

そう言えるよう 思えるように生きることの方が

より充実した命となる

今を懸命に生きているか?

その疑問も浮かぶのだが

不平不満が出るとしたら

それこそ懸命に生きてはいないのではないだろうか?

誰かのせいで とか 給料が安いから とか

親が あいつが 時間が 今が

自分ではなく 他者への責任の押しつけをしているなら

懸命ではない

自己責任で生きろ これは 誰でもなく 自分に言い聞かせている

ここにいるのも なにかをしているのも

誰でもなく 自分なのだ

いつから大人なのかわからないが

自分の意思で ある程度のことを決められるのならば

何もかもを自己責任で生きることが当然という価値観だ

望む形で生きていないなら

望む形で生きればいい

そんなの無理だというなら その理由をあげてみろ

自分ではなく 誰かのせいではないか?

一生懸命やってるのに そうなっていないなら

まだ道の途中だという事ではないか?

うるさい事を言うな!

そう思うとしたら なにに反応している?

自分の中の反応する違和感を探してみろ

掘り下げろ

この違和感はなんだ?

どこから来ている?

それは何を言っている?

違和感を感じている自分は

なにを言っている?


私の違和感は

今 ここにいる自分が

本来 望んでいる自分の在り方ではないことを

教えてくれている


違和感は 正直に生きるための

本来の自分からのシグナルだと感じる

自分を大切に生きるなら 懸命に生きるなら

無視はできないシグナルだ

シグナルを無視せず 受信し続け

自分の在り方を導いていけ

自分の足で


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