眠りと瞳は仕事をしない(没作品)

人は見たいものしか見ないと言うけれど、では見たいものだけが見えない状況とは果たして何なのでありましょうか。
ここに、ある夏の物語を記します。優秀なる探偵諸君、どうかこの謎を解いてくれたまえ…。


1.
海が見たい、そう思っていたような気がするのです。

高知行きの高速バスを降りた私は、倒れ込むようにホテルのベッドに横になると、眩しい青空を吸い込むこともなく、潮の匂いを嗅ぐこともなく、ぐったりと目を閉じました。

逃げ出したかった、現実から。
ここでなければ、きっとどこでも良かった。
あの頃の私は、何もかもに疲れ切っていました。何もかもに。

せっかく高知県まで来たのに、私はほとんど観光もしないまま、ただ鉛のように重い身体を引きずって、1泊2日の短い旅を終えようとしていました。
高速バスは高知駅から出発します。発車時刻までまだ時間はあったけれど、財布にはもうほとんどお金が残っておらず、私は駅前の観光施設の椅子に腰を下ろし、ぼんやりと時が過ぎるのを待っていました。

その時です。これからステージが始まる、と呼び掛ける声が館内に響きました。少し変わった格好をした人が幾人かうろうろしているとは思っていたけれど、ステージとは何だろうか。
普段の私であれば、面倒でそのまま椅子に座ったままでいたかもしれません。けれどその日は何故か、ステージを見てみようという気持ちになったのです。暇が潰せれば何でもいいと思っていたのかもしれません。

屋外のステージに現れる、6人の美男美女。それはさっきの変わった格好、つまり色とりどりの衣装に身を包んだ若者たちでした。
ステージを駆け巡る、キラキラした歌、キラキラしたダンス。親しみやすい雰囲気と、その隙間から顔を覗かせる情熱。降り注ぐ南国の陽射しを受けて輝く数十分の時間は、あっという間に過ぎ去って行きました。

高速バスの座席に揺られながら、私はさっき見たものの衝撃を、ぼんやりと思い返していました。
何だったんだ、今のは。

それが、私と「土佐おもてなし海援隊」との出会いでした。最初で、そして、最後の。


「土佐おもてなし海援隊」とは、高知県の観光PR隊だったグループの名称です。メンバーは6人の幕末の志士。土佐の偉人たちで構成されたグループは、高知駅前を主な活動拠点としながら、各地でPR活動を行い、人気を博していたようです。

私はあの日ステージを見るまで、彼らのことはまったく知りませんでした。本当にまったく知らなかったのです。昨日まで存在すら知らなかった彼らは、現実に凍え切っていた私の心をこじ開けるように、突然飛び込んできたのです。本当に、突然。

何故、たった一度ステージを見ただけの存在に、こんなに胸を揺さぶられたのだろう。私はどうしても、その正体を確かめたかった。
インターネットで彼らの活動に触れることはできるけど、おそらく最初に動画や写真で彼らを知っていたなら、ここまで惹き付けられることはなかったのではないか。直接触れたからこその衝撃だったに違いない。
ならば、もう一度高知へ行くしかない。もう一度行こう、そして確かめよう。思うようにならない毎日の中、私はそう願い続けていました。

しかし、その願いが聞き届けられることはありませんでした。土佐おもてなし海援隊は、2019年3月に、その活動を終えてしまったからです。そして活動が終了するその日までに、私はついに高知まで足を運ぶことができなかったのです。

ささやかな願いすら叶えられない自分の無力さに歯噛みしながらも、私は高知を再び訪れることを諦めてはいませんでした。
そんな私の様子を、ある友人がずっと気にかけていたようなのです。

「高知に連れていってあげますよ」
その一言で突然決まった1泊2日の旅。友人の運転する車の助手席に揺られて渡る瀬戸大橋。感謝と喜びと緊張と不安と、とても不思議な気持ちとをゆらゆらと抱えながら、私は再び高知の地を踏んだのでした。
「あんなあり得ないこと」が待っているとも知らずに…。


2.
時折雨粒の落ちていた空は、薄曇りのまま黙ることにしたようでした。逃げ出したいくらいの緊張と、ここまで来てしまったのだからという開き直りとの間で揺れながら、私は助手席のシートに身を埋めていました。

どうやらあまりにも緊張してしまったらしい私は、出発の何日も前からよく眠れておらず、すっかり日も落ちてから到着した高知での一晩も、ほぼ一睡もできずに過ごしてしまいました。
もう、土佐おもてなし海援隊は居ません。幕末に帰ってしまったからです。でも、幕末に帰ってしまった皆さんに非常によく似た方々は、今もそれぞれの道で活躍しているのです。ええ、本当によく似ていらっしゃる方々が。ええまあ、そういうことで。

今まさに車が向かっているのは、その中のお一人が働かれている場所。私があの日、たった一度だけステージを見たあの場所。高知駅前の「こうち旅広場」。土佐おもてなし海援隊の活動拠点だった、あの場所でした。



…えー、実はここまででございます。この辺りまで書いて、バサッと没にしました。

この文章は「キナリ杯」に応募しようとして書いていたものです。情報をいただいて、応募してみようと思ったもののテーマがさっぱり決まらず、延々と悩んだ結果「この話が結局いちばんわけがわからなくて面白いよな」と思い切って書き始めたのですけど、結局締切当日に没決定。

没にしてしまった理由は、まずは長いから。ここまでと言いつつ、ここから先のことが実は話のメインなのですが、それに対しては説明が必要で、この通り延々とその説明が長くなってしまっていたからです。
しかも、ここまではセンチメンタルで真面目に思えるけれど、ここからはひたすら私がバカなだけの展開になるため(知ってる人は黙っててください、笑)内容もカオス(笑)。カオス過ぎる(笑)。
長くし過ぎまいと思って色々抑えて書いていて、「そうじゃないんだよ感」が自分でもありますし。説明しにくいけど。

2番目の理由は、万が一迷惑がかかっちゃいけないから。自虐ネタに振りつつ応援の気持ちも込めたかったんですけど、自分のブログならまだしも、コンテストという形でネタにするにはカオスな展開になりすぎちゃうなと思ったので。気にしすぎかもですが…。

そしてもうひとつ、書いているうちに「この話を書くのは今じゃない」と思ったからです。過去に書いたことがあるから今更またか、という気持ちと、もっと違う形で書く機会が別にあるはずだ、と何となく思ったんですよ。何となくね。
小説っぽくエッセイを書くのはすごく面白くて(たぶんこの形がいちばん好き)、このまま書ききりたかったのですけど、面白かったからこそ今じゃないとも思ったのです。

結局別のテーマで急遽書いて応募しました。5月31日にnoteに投稿してた占いの話がそれ。案の定あんまりいい文章書けなかったけど。この文章にパワー吸いとられちゃってましたね、明らかに。

キナリ杯に応募した理由は、応募することでもう少し多くの人に読んでもらえるかな、と思ったから。noteは本当に読まれない。たぶん、このまま書き続けていても読まれることはないと思う。それぞれのプラットフォームには好まれやすいものとそうでないものとがある。その予想は正しいかどうかをちょっと実験してみたい気持ちもあったのですね。

応募してみた結果は「やっぱり読まれないんだな」だったので、じゃあもうますますnoteは自由に書いた文章置いとく場所にしようかな、と開き直ってる次第であります。いや、前からそうなんだけど(笑)改めて。
時々突然いっぱい読まれたりすることもあるので何とも、なんですけどね。わずかでも読んでくださる方がいらっしゃるだけでも十分に凄いことで、私は本当にそのわずかな方に支えられているので、いっぱい読まれたらいいってわけでもないんだな、とも実感してますし。ただ、間口は広げてた方がいいのかな、うん。

応援の気持ちも込めて書くなら、やっぱりもうちょっと読んでもらえた方がいいので、今回は没で良かったかな、と思います。でもせっかくなので、書いてたところまでそっと置いとくことにしました。中途半端な内容でごめんなさい。
こういう形で書くのが好きなんだな、自分には合ってるのかもな、と確認できただけでも良かったかな。んでね、相変わらずファンですよ(笑)。また旅日記とかそういうの、書けたらいいんだけどね。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週5、6回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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