君の信じる神にこの漆黒は救えない

実家に手紙が届いていました。

差出人は小学校の同級生。比較的家が近所だったので、小学生時代は時々彼女の家にも遊びに行かせてもらってた記憶があります。
中学も一緒だったと思うのですが、中学時代の彼女については記憶がありません。名前はしっかり覚えてますが、顔の記憶も既にぼんやりとしています。私は人の顔を覚えるのがあまり得意じゃないのですよ。卒業後に偶然会って30分くらい一緒にいた相手が、結局誰だったのか最後まで思い出せなかったこともあります(汗)。

私が最後に彼女の噂を聞いたのは「新興宗教に傾倒して修行に出た」というものでした。狭い地域でのことなので噂はすぐに広がるのです。その話を母から聞いたのはもう実家を離れてからだったような気もしますが、はっきりとした記憶はありません。

中学卒業後はおそらく一度も会っていないはずの彼女からわざわざ手紙が来るなんて。考えられることはひとつしかありませんが、確かめもせず人を疑うのも意地が悪いような気もします。ほぼ存在しない可能性をほんの少しだけ祈りながら、私は父が渡してくれた手紙を開封しました。

手紙には、私も忘れていた小学生時代の思い出が綴られていました。私は入学してから小学校高学年になるまでずっといじめに遭っていて、あまり思い出したくないのかかなり記憶が曖昧なのです。私の存在はクラス内では無いものになっていて、何かすれば笑われ文句を言われ、それでも世界の何処にも居場所がなかったので学校へ行っていました。クラス全員から存在を否定されていたので、当然彼女もいじめる側です。
高学年の時の担任が熱心に生徒と向き合ってくれたお陰で、私はやっと「自分は笑ったり喋ったりしても大丈夫なんだ」と思えたのです。罰ゲームのような私の人生において、私自身を否定することなく本気で向き合い、ありのままを受け入れてくれたのは、たぶんあの担任ひとりだけです。

思わずホロリとしそうになったけど…。やっぱり、その話は新興宗教への勧誘へと繋がって行きました。ノルマでもあるんでしょうかね。私が何度か引っ越していることも知らず実家に手紙を送ってくる時点で、私自身に興味はないでしょうから。

いえ、もしかしたら噂で私の窮状を聞いたのかもしれない。それを哀れに思って、宗教なら救ってあげられると思ってくれたのかもしれない。
正直、寝食の面倒を見てあげるからうちで修行しませんか、と誘われたら今の私はほいほいついていってしまうかもしれません。それくらい追い詰められているし、投げやりになってもいる。小学生だったあの頃から、私は1日でも早く、眠るように諦めてこの世ではない世界へ行ってしまいたかった。どんなに探してもこの世界に私の居場所はなく、私の気持ちは6歳だったあの頃から正直変わってはいないのです。

ただ、宗教に傾倒しようと思ったことは一度もなかった。特に新興宗教には興味がまったくなかったです。本人が幸せなら全然構わないのですが、その幸せが絶対であり他者も享受すべきだという態度に出られるのが苦手でした。これは宗教に限らず、何らかのファン活動であるとか、健康とか食事とかファッションだとかいった話でも同様なのですが、宗教は全財産を傾ける事態になる場合がしばしば起こりうるという点で特に厄介なのでしょう。

でも一度だけ、危なかった時があるのですよ。教科書に載っていそうなパワハラに加えて今も思い出すと吐きそうになるセクハラ等々に心身ともに疲弊しきり、ストレスからまともに食事もとれずに痩せていき、因果関係の証明はできないものの今も苦しむ肉体的な持病を抱えるようになり、友人知人も去り、本当なら得られるはずだった賃金や権利をすべて放棄する、つまり退職を選んだあの頃。そうならなくて済むように方々に掛け合い、力を貸してくださる方にも出会い、本当にパワハラなのか冷静に判断するために外部の相談機関を訪ね、泣き寝入りせず戦ったけれど、それらがすべて徒労に終わってもう頑張れなくなったあの頃。今ならもしかすると、徒労に終わることもなかったのかもしれないけれど。

どうにか宗教に足を突っ込む事態にはならなかったけれど(何か見えないものが守ってくれたような気もするんだよな、あの時…。こんな発言するとどっちが宗教なんだかわかりませんけど…)、本当にあの時は危なかった。心が弱り果てると、人間は何でもいいからすがるものが欲しくなるんだと思い知りました。本当なら家族や友達や恋人がその役目を果たすのでしょうが、そういう間柄の人間がいても孤独を感じていればそこに宗教は「その人にとっての」救いとして入り込むのかもしれません。

転職する度に、ギリギリまで追い詰められた精神状態の中でも「自分の置かれた事態はどのように評価されるべきか」を冷静に判断するため、たとえたいした力にはならなかったとしても各種相談機関を頼ってきた、そうせざるを得ないほど追い込まれていました。私の人生は何処まで行っても報われることはないらしいです…。身近に「救い」がいないので、そうするしかなかった部分も大きいのですけれど。
そんなこともあって、会うたびに、もしくはSNS等で「俺は悪くない周囲が無能なんだ!」とでも言いたげに今いる組織の愚痴を繰り返し撒き散らしているような人は、本気で追い詰められてる訳じゃないな、とちょっと冷たい目で見てます。何故かと言うと、たぶんそれがパワハラや嫌がらせをする側の言い分だから。今はそうではなくても、そのうちあんなに嫌がっていたはずの部下をいじめる上司になる未来が見えるようだよ。文句を言いたいだけで現状を変えるために自分が骨を折る気は一切ないあたりがまさしく。頭痛い。
すべてが終わってから淡々と事実を綴っても「構ってちゃん」だとか言われるのに、本物の構ってちゃんに同情のリプライなんかついてると、世界滅びちゃえばいいのに、ってうっすら思ってます←闇

懐かしい友達としてなら、彼女に返事を書きたくなる。一瞬そうしようかと思ってしまいました。けど、それをやってしまったら最後、彼女はスッポンのように食いついてくるのでしょう。どんなに懐かしくても、ぐっとこらえて無視するしかありません。
もし手紙に「住むところも食べるものも用意するよ!おまけに3食デザートにアイスがつくよ!」とでも書いてあったなら、ほいほいと返事を出したと思いますけどね…。石油王さんお手紙ください。今すぐください。デザートは3食アイスがいいです←頭大丈夫?←超今更

…私は詳しい話をあえてしなかったけど、弱りきっていたあの時に、母は「セクハラくらいで仕事辞めるな」と私に言い放ちました。あの言葉は忘れたくても忘れられません。子供だった私がいじめられるのをわかっていて学校を休まなかったのは、家にも居場所がなかったからです。
きっと残されるであろう親の負の遺産に備えるために、私は社会で安定して働いて生きていこうと思った。それしか考えてなかった。そんな学生時代の私に、商店街で出会った手相鑑定のお爺さんが告げた言葉もまた、忘れられません。

あんたは苦労するよ。本当に苦労する。本当は、若いうちに親から遠く離れた土地で結婚した方がいい、楽な人生を送れるから。でもあんたはそれを選べずに、親を背負う羽目になるだろう。けど、いずれは結婚する運命になっている。そうなれば人生は楽になる。それまではどんなことがあっても、人生を諦めずに生きていきなさい。

恋愛とか結婚とか考えてもいなかった私に、その言葉は突き刺さりました。いつかこの地獄から逃れて幸せになれるんだ。それは希望でした。唯一の支えでした。
けれど、ずっと待っていたその人は、私のこの手を取ることなくすれ違って行ってしまったのかもしれない。まだ、近くにいるような気もするけれど。
このまま一人で死ぬ運命ならば、おそらくもう私の人生に未来はありません。それは薄々わかっています。それならば、どうしても今誰かを連れていかなければならないのなら、私を連れていって欲しい、神様。誰も悲しまないし私もこれ以上苦しまなくて済む。お金の苦労も親の罵倒もパワハラもファンのいざこざも何もない世界に行きたい。

私の闇はあなたが思っている以上に深い。新興宗教程度に救えると思ってもらっちゃ困るんですよ。救えると思うなら、やってみろ。私の欲しいものは君たちの信じる神には用意できない。君の信じる愛は、愛ではないから。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週5、6回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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